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「今、ここ」で ともにあることを 確かめあう ~天童アートロードプロジェクト イシザワエリ~

ザワさん

●「てんてん展―道草のすすめ―」無事に終了!
ザワさん2
会場のようす

天童アートロードプロジェクト」(以下、アートロード)が企画・運営する展覧会「てんてん展―道草のすすめ―」が、11月末に天童市美術館で開催された。2週間の期間中に826名の方がたにご来場いただくことができた。(ご来場いただいたみなさま、本当にありがとうございました!)

アートロードの展覧会は、一般的な展覧会とはちょっと違う。どう違うかというと、まず、会場には、全国規模の公募展に出展している若手アーティストの大きな油絵があり、隣には尾花沢の小学生たちが地元の養蚕の文化を学んでつくった「繭ハウス」が並ぶ。ジャンルを超えた作品が同じ空間に展示されている。また、自由にものづくりができるスペース「あきばこでつくろう!ぼく・わたしの天童市」が出展され、子どもたちが目を輝かせながらもくもくと何かをつくりつづけている。そして、会期中の土日・祝日には、親子で楽しめる多種多様なものづくり活動が開催され、大勢の人びとでにぎわう。

今年は、新しい取り組みとして、出展者が作品を通して、自由に語り合う場をつくることができた。例えば「ひろしまmeeting」は、広島市出身の作者が「原爆ドーム」が誕生して100年目の節目に山形の地で「ひろしま」をとらえなおしてみようという試みだ。ともに語るゲストに、広島をテーマにした作品に出演した舞台女優や、父親が海軍に勤務していたという男性をお呼びして、空・海・陸の視点から、当時の人びとの暮らしや考えに想いをはせた。

ザワさん3
「ひろしまmeeting」のようす

このように、会場では、人や物が常に変化しつづけている。そして、年齢も、仕事もバラバラの出展者たちがさまざまな考えかたのもとに制作した「作品」が、同じ場所に並んで展示されている。これこそが、アートロードの展覧会の最大の魅力だ。そして、展覧会という場をつくることで、人と人が出あうきっかけをつくりだそうとしている。

●「つまり」って、なんだ!

先ほど書いたとおり、アートロードの展覧会は一言ではなかなか説明できない。よく、来場された方に「つまり、どういう活動なんですか?」と聞かれることがある。「つまり」のあとには、端的にまとめあげられた言葉が求められている。
しかし、端的にまとめてしまうとアートロードの魅力がなくなってしまう。異なる価値観が同時に存在していることで生まれる、ごちゃごちゃ感を大切にしたい。5年間をまとめようとして、なかなかまとまらないので、そこに大切なことがあるのだと思う。

●「成長」をのらりくらりかわして、「今、ここで」を大切に

これからも、活動を続けていけば展示内容は変わっていくだろう。でも、気をつけないといけないのは、活動を「成長」させよう意識しすぎることだ。「よりよくしよう」という思いは、現代社会を生きる私たちがいつの間にか内面化し、追い求めてしまうものだ。しかし、具体的な目的も理由もないのに「成長」を意識して無理をしては、活動そのものが負担になってしまう。そうしたら本末転倒だ。
アートロードに参加する人たちは、これまでの生きかたも、仕事も、考えかたもちがう。この活動を通して、お互いに刺激を与えあい、ときにはぶつかりあいながら、今、ここで生きていることを確かめ合っているのだと思う。顔と顔を突き合わせて、考えたり、悩んだり、笑ったりしていること自体をこれからも大切にしていきたい。 (了)

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「見えないもの」を 信じること ~311ボラMeeting 多田 曜子~

多田さん

◆世の中の痛みを「痛い」と感じられること
熊本、北海道、鳥取、岩手――なんだかこの一年は本当に災害が多くて、このまま数年後には日本中が「被災地」と呼ばれるようになるのでは…と思ってしまうほどでした。災害がおきるたびに、それを見ている方もショックが続いてしまいますね。
災害や殺人などの悲しいニュースが日々テレビで流されていると、痛みを感じないように、「また同じことか」と心がガチガチに石のように固まっていく。「自分にだけ被害がないようにしよう」と狭い範囲にだけ目を向けるように思ってしまうこと、悲しい出来事に「無痛」になっていくことも、人にはおこります。きっとこんな痛みに麻痺していくことも、人間に備わった防衛本能なのかもしれません。
人の痛みを「痛い」と共感できること、「これは普通のことじゃない」と感じられることは、きっとまだ心がゴムのように柔軟に動く証拠。健康な心の証です。しかし「痛い」だけが続いては、物事に向き合うのが苦痛になってしまう。誰だって「痛い」だけの連続は嫌です。
世の中の痛みを「痛い!」と感じたら、「じゃあ、どうすればいいのか」へ変換していく思考と行動を、習慣づけていきたいと思うこのごろです。

◆誰かが、応援してくれている。
岩手県陸前高田市では、津波が海岸から数キロメートル先の街一帯を、すべて根こそぎ奪い去っていきました。一軒のビルも、家の土台もなくなってしまったその街は、もちろん人が住むところなどなく、残った人びとは高台の仮設住宅に住んでいました。
津波を受けた街は、がれきの破片が散乱し、津波が残した泥水が街の水路だった場所を埋めつくしていました。行方不明者が当時まだ二百数十名。時間の経過とともに、各地のボランティア・センターが閉所していく中、その市のボランティア・センターは、行方不明者が残ったがれきや泥水の中から見つかる可能性はある、とボランティアを受け入れ続けていました。
人が住まなくなった場所では、たとえボランティアが一日かけてがれき撤去を行っても、誰かが声をかけて「がんばれ」と言ってくれることもなければ、きれいになった場所を見て「ありがとう」と言ってくれる人もいません。
「精いっぱいやったって、だれも見て喜ぶ人がいないならやる意味なんてないんじゃないか」と、あるボランティアはつぶやきました。

あるとき、活動現場へ行く途中に、高台に住む仮設住宅の方が、ボランティアにあいさつがしたいと、私たちのところへやってきました。小学生の子どもがいるという、一人のお母さんでした。

来てくれて、ありがとうございます。
私は家を流され、仮設住宅で子どもたちといっしょに過ごしています。大きなことや、特別なことをやっているわけではありませんが、子どもたちといっしょに、ご飯を食べて、学校へ行って、そんな普通の日常を、毎日を、精いっぱい、生きています。
ボランティアに来る人に毎日会うことはできませんが、ボランティアに来てくれている人が今もいる、と仮設へも聞こえてきます。
「誰かが、今も、応援してくれている。」
そんなふうに思うと、私たちもがんばって、生きていよう、と。ただそれだけで、そんなふうに思えます。
応援してくれて、ありがとうございます。

彼女は慣れない手つきでマイクを握り、涙を浮かべ、ふりしぼった声でそう言って、現場へ行く私たちを見送りました。

「誰かが、応援してくれている。ただそれだけで、生きていようと思えます。」

彼女のふりしぼった声が、何年たった今でも耳に残っています。

何かがうまくいかないとき、望み通りの生活が叶えられないとき、「なんで誰かが○○してくれないの」と誰かが「してくれない」ことに目が行ってしまいがちです。私ならそうなってしまうこともあります。そんなときに、身のまわりの小さなことに耳を澄まし、心を澄まし、どこかで応援してくれている人を思いおこす。彼女のように感謝をもって毎日を重ねるそんな強さを、どこかにもっていたいと思った出来事でした。

◆祈りの効果
2017年3月で、震災から丸6年が経ちます。今回の3月11日は土曜日ということもあって、実際に被災地に行きたいという人や、復興支援商品を買おうという人、家で静かに祈りたいという人、いろんな過ごしかたができると思います。私はというと、毎年「静かに祈っていたいな」と思うことが多く、たぶん今年も静かに過ごすのだろうなぁと思います。
そういえばあるとき、「祈ったところで何かなるの?」と友人に言われたことがありました。「何かなるの?と言われても…」と思いながらも調べていると、意外な研究が見つかりました。
その研究というのは、とあるアメリカの病院で、同じ病状の方がたを無作為に「祈られるグループ」と「祈られないグループ」にわけて、同じ環境の中で経過を観察する、というものでした。そして患者たちには知らせずに、祈る人たちはできるだけ具体的に毎日祈り続ける。医師も、看護師も、どの患者がどのグループなのか知らない中で行われましたが、その臨床結果は「祈られたグループ」は「祈られないグループ」よりも驚くほどよい治療結果になった、というものです。そしてその効果は、祈る人との距離の関係もないこともわかったそうです。(興味のある人はぜひググってみて!)

「想い」や「願い」、「祈り」。目に見えないものは信じにくいかもしれません。けれど、そこには確かな何かが動き、誰かに届くことがあります。

あなたの祈りが、まだ会ったことのない誰かを幸せにする。
そんな祈りの時間を、今年は一度、いっしょにつくってみませんか?

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プロフィール 多田曜子
山形市出身。北京語言大学卒業。会社員、販売員を経て2011年の東日本大震災をきっかけに宮城・岩手・福島・山形でボランティアを始める。2011年8月より復興ボランティア支援センターやまがたに勤務。311ボラMeeting代表。

「あの日」をふりかえって ~庄司 樹 (庄司林業・So-tennen)~

この原稿を書いている2016年12月22日に何をしていたか、クリスマス・イブの前の前の日。答えられる人がどれくらいいるでしょう。私も本紙が発刊されるころには忘れていて、たぶん他の人もそのとき何をしていたかなんてほとんど覚えていないはず。

でも震災のあったあの日あのとき、どこで何をしていたか、ほとんどの人が鮮明に覚えています。不思議なような、スケールの大きな共通の認識。



あの日――。翌日都内で引っ越しを控えていた間の悪い私はビルの4階の家具売り場で買いものをしていて地震に遭遇しました。今まで体験したことのない揺れに慌てて非常階段を駆け下り、外に出ると人があふれかえっていました。交通機関はマヒしていましたが、家が近くだったので何ごともなく戻ることができたわけですが、家の前につくと塀が崩れていて、少しぞっとしました。

家の片づけが途中だったので、恐る恐るドアを開けると思ったよりかは散乱していなくて、皿が数枚割れたていどでした。メールやらなんやら情報が錯綜していたので、とりあえず何があったのか確かめようとテレビをつけました。

するとそこには、自衛隊のヘリコプターからの映像で、大きな津波が幾重にも連なって押し寄せているようすが映し出されていました。画面の端には日本地図に「大津波警報」の文字。宮城県の沖で大きな地震が発生し、津波が押し寄せている。実家に電話するもつながらず。停電が起きているかもしれないとのこと。しばらくの間呆然とテレビばかりを見ていました。

翌日気を取り直し、何とかレンタカーを借りて引っ越しを済ませ、新天地での生活がスタートしました。中目黒は震災直後の異様な雰囲気に包まれ、人びともどこか息をひそめているように感じました。コンビニやスーパーに行ってみると買占めが始まり、棚はスカスカでほとんど何もない状態。しばらく続くだろうな。当時私は映画業界で助監督のキャリアを歩んでおりましたが、仕事もすべてストップし、フリーランスというあこぎな仕事を今更恨めしく思いながら貯金を切り崩しての生活になりました。

夜、散歩がてら飲み屋の散策に出かけていると、お店というお店が節電で薄暗くなっていました。よさげな居酒屋を見つけ中に入ると電球色の頼りない灯りに迎えられ、今異常事態の最中にいるということを見せつけられたようでしたが、不思議と嫌な感じはなくむしろ心地よいくらいに感じました。

ビールを飲みながら室内を見渡すと、浮き上がった影があんばい悪そうに佇んでいます。店の雰囲気と影がどこか合っていない。でもその影には妙な美しさを感じました。どこにいても何をしていても、映画のフレームでものを見るクセがついてしまっていて、自分なりにここで撮影するならどこからどれくらいのサイズでどういう照明で撮影するか考えてしまうので、照明具合に目がいきます。

影。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』をふと思いました。西洋と日本の影に対する考えかたの違い、日本人の美意識について書かれた本ですが、この本、映画業界では必読書となっています。特に撮影部、照明部の人でこれを読んでいない人はモグリと言われている本です。自分は演出部だったわけですが、その話を聞いてすぐ読んでみました。読むと納得、美しいものがなぜ美しいと感じるのか知ることができました。そして光と影に対する日本人としての考えかた、影に美を見出す豊かさなどたくさんの気づきをえました。



震災


その後、私は家業(林業)を継ぐ決心をし、1ヶ月もいないうちに東京を離れました。最後に住んでいた中目黒の街は今どうなっているのだろう。震災を忘れ、美しい暗闇を打ち消して夜を輝かせてしまっているのだろうか。

私たちはもっと美しく豊かに生きることを選んでいいと思います。太陽が顔を出したら目を覚まし、その季節に採れるおいしい旬の食べもので心と体に栄養を補給したら仕事に汗を流し、一休みしたらまた汗を流し、太陽が沈む前に家に帰って汚れを洗い落とし、火にあたりながら晩酌をして、暗闇に添い眠る。自然と共にある暮らし。日本人が本来知る美しさと向き合うことが必要なのかもしれません。

「いつまでもあると思うな親と金、地球環境」。経済より環境が心配で口より先に手が動く、元映画助監督で現在林業作業員の若者のつたない思いを書かせていただきました。 (了)

まちあるき@ぷらほ2017上山編


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8月26日(土)、「まちあるき@ぷらほ2017上山編」に参加しました。このまちあるきは、ヤマガタ各地の地方都市の成り立ちを歩いて学ぶ企画です。2017年度、1回目は上山市を歩きました。温泉と城下町という二つの要素が町の成り立ちにどう影響しているのか、郷土史家・岩井哲さんにご案内いただきました。今回歩いたコースは、上山城~武家屋敷~浄光寺(月秀の墓)~上山温泉源泉と鶴の休み石~下大湯でした。 
上山城は、最上氏の最南端の城塞で、伊達氏や上杉氏との攻防の舞台となっていました。その後、江戸時代に入り能見松平氏~蒲生氏~土岐氏~金森氏~藤井松平氏が入部しました。上山城は、小さなお城であったにもかかわらず奥羽の名城だったと伝わっているそうです。ちなみに、現在の復元された天守閣は、江戸時代にあったものではなく、全くの想像上の建物だそうです。話は横道にそれますが、まちのいたるところにあるガイドには天守閣の写真が載っていますが、それを見ると実際に江戸時代の天守閣を復元したように誤解されてしまうかもしれないと岩井さんはおっしゃっていました。
 上山城の次に向かったのは、武家屋敷と藩校明新館跡です。上山には、4軒並びの武家屋敷が残されていて、当時の暮らしの面影が残っています。藩校の名称の「明新館」は今の上山明新館高校に引きつがれています。
幕末には日本各地で志をもった武士が活動をしていたのですが、上山にもそのような武士がいて、名前を金子与三郎といいます。新選組のもとになる組織をつくった庄内藩出身の有名な志士である清河八郎とも交流があったそうです。そこではどのような会話があったのかを想像するだけでも、幕末ファンとしてはわくわくします。

ぶらぽ2

 その後、今回のテーマのひとつである温泉街に向かいました。上山温泉は別名「鶴脛の湯」と呼ばれていて、1458年に肥前(現在の佐賀県)の月秀という旅の僧が、沼地に湧く湯に一羽の鶴が脛を浸し、傷が癒えて飛び去る姿を見かけたのがはじまりといわれているそうです。しかし、月秀が温泉を発見したとされる年代よりも前に見つかっていたという記録もあるため、岩井さんは、月秀がかみのやま温泉を発見したという説に疑問を持っておられるそうです。鶴が休んでいたという話は、伝説として温泉に箔を付けるために創られた可能性があるとのことでした。そのような話を足湯に浸かりながら岩井さんにお話しいただきました。
 今回のまちあるきで自分が知らないような歴史にかんする遺産をたくさん学べました。このような人の営みを絶やさず受け継いでいくことは、現代を生きる人の使命ではないのでしょうか。

やまがたNPO 活動促進大会

そくしんたいかい

11月11日(金)、ホテルメトロポリタン山形にて「やまがたNPO活動促進大会」(以下、「NPO大会」と略記)が行われました。この会は、県内各地のNPOによる活動内容の発表や県民活動に関するセミナーなどを通し、県民にNPO活動への関心を持ってもらい、参加を促すことを目的に毎年開催されているイベントです。

NPO大会」は細谷副知事の挨拶から始まり、続いてプログラムの第一部「2016年やまがた公益大賞」の授賞式がありました。これは団体や企業がとりくむ公益活動で大きな成果を収めた活動を表彰するもので、山形市末広地区にて、イベントなどを通し住民が世代をこえてつながれる場づくりを行っている「あいらぶ末広 楽市楽茶」や、新庄市の旧蚕糸試験所(新庄市エコロジーガーデン)でマルシェや芸術祭を開催し、地域の交流拡大に努めている「新庄市エコロジーガーデン交流拡大プロジェクト」など全5団体が授賞。県内あちこちで地域住民の交流活動が活発に行われていることを知れると同時に、逆にいえば現代はそうした場を設けなければならないくらい多世代間の交流が希薄になっているという課題が見えてくる授賞式でした。

 第二部は「県民活動推進セミナー」ということで、東北公益文科大学の特任講師の青木孝弘氏による「NPO・企業・行政等の連携による新たな社会の創生」と題したセミナーが行われました。 

近年、地方衰退が問題視されていますが、青木氏はこの問題に対し、これからは産業界や行政機関、大学、地域は垣根をつくらず多様なつながりをもつことが大切だといいます。実は民間と行政の連携は90年代末あたりから重要視されていましたが、それはあくまで活動領域ごとに縦割りのつながりしかなく――例えば農業と観光協会の連携、行政のまちづくり担当部局と地域の連携というように――横のつながりがほぼない状態でした。しかし、組織の高齢化や縮小化など、そろそろ縦割りの関係にも限界が来ていることを青木氏は指摘します。各団体もっと広域に、もっと多様なつながりをつくることが新たな社会創生につながる。青木氏のお話を伺って、自分の周りにはどんな地域資源が存在するのか、視野を広くもって活動することの大切さを再認識させられました。

引き続き第三部は、平成27年度に「やまがた社会貢献基金」を活用して行った事業の成果報告会です。山形県無形民俗文化財にも指定されている民俗芸能・仁田山獅子踊の技術継承と未来の担い手育成事業を行う新庄市の「仁田山獅子踊保存会」や、酒田市にて県内外の大学生を対象とした海洋ごみ問題に関わる啓発・交流活動を行う「NPO法人パートナーシップオフィス」など、全6団体が発表。伝統や環境問題、自分の知らない多彩な分野の活動団体のお話を聞けるのはよい刺激となりました。

第四部は交流会。おおよそ40分、参加者どうしでざっくばらんに交流できる時間が設けられていたので、筆者は同じく会場に来ていた米沢の「NPO法人With優」の方と交流し、近況を報告し合いました。時間が少し短かったために、充分いろいろな方と交流できなかったのが少々心残りです。

「NPO大会」を通し、自分の知らない団体の活動内容などを知ることもできて非常に有意義な時間をすごせました。しかし、県内にはまだまだ知られていない団体や活動がたくさんあるはず。活動の規模など関係なく、そうした人びとや場所を今後『まどあかり』(文責:大原克彰)

山形あづまりEXPO 2016


11月6日(日)、村山市の甑葉プラザにて「山形あづまりEXPO(以下、「EXPO」と略記)」が開催されました。「EXPO」は地域の未来のために活動している人たちが山形県内各地から一堂に集まり、パフォーマンス、グルメ、体験活動などさまざまな形で活動をPRするイベントです。2014年に始まり、今年で3回目となる「EXPO」に『まどあかり』編集部も参加してきましたので、当日のようすをレポート形式でいくつかご紹介します。


あずまり1
●ステージ
【YOZAN戦士アズマンジャー】
「YOZAN戦士アズマンジャー」というヒーローのショーを鑑賞しました。彼らは、米沢市を中心に活躍しているローカルヒーローで、 米沢の特産品のグループ 米沢ABC(Apple=舘山りんご、Beef=米沢牛、Carp=米沢鯉)をモチーフとしているそうです。今回のヒーローショーでは定番の怪人と戦うというシーンはなかったのですが、オリジナルのダンスを披露してくれました。また、熱狂的なファンもいて記念撮影などを行っていました。
(文責:宍戸浩介)

あずまり2
【べにばなレジェンド】
同じステージで長井市の「べにばなレジェンド」という団体の方がたがけん玉ショーを披露してくれました。「べにばなレジェンド」とは、1992年の「べにばな国体」のとき、小学生で、けん玉演技やけん玉道にひたすらとりくんでいた、けん玉が上手な世代の方がたの団体で、いままで見たこともないような妙技を披露してくれました。フロアで行われていたワークショップでは、説明していただきながら玉が三つもあるけん玉に挑戦させていただきました。参加者していた子どもたちや若い世代の人たちはあまり触れたことのない文化だと思います。そういう世代に対してこうやって文化を継承していくのだなと感じました。             (文責:宍戸浩介)

村山市地域おこし協力隊】
村山市の「地域おこし協力隊」の方がたの発表もありました。「地域おこし協力隊」とは、人口減少や高齢化等の進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に受け入れ、地域協力活動を行ってもらい、その定住・定着を図ることで、意欲ある都市住民の要望に応えながら、地域力の維持・強化を図っていくことを目的としているとりくみだそうです。そこには、かつての「ぷらっとほーむ」メンバーの姿もありました。久々の再開に喜びつつ、発表を聞いていたのですが、彼ならではの目線から村山の魅力を発表してくれていてとても素敵でした。            (文責:宍戸浩介)

あずまり3
【山形を熱くしよう!プロジェクト】
ステージパフォーマンスのひとつに、山形県出身・在住のシンガーソングライター・kiyoさんのライブがありました。Kiyoさんは、2012年から「山形を熱くしよう!プロジェクト」と題して東日本大震災復興支援チャリティーライブや若者交流・子育て支援のイベント、地域のお祭り企画運営・プロデュースなど、さまざまな活動を展開している方です。Kiyoさんは歌やギターの演奏が素晴らしいのはもちろんのこと、曲の所どころでお客さんに手拍子やハイタッチを求めるなど、会場を巻き込んでもりあがれるような構成のライブになっていて、「みんなを楽しませたい!」というkiyoさんの熱い思いがひしひしと伝わってきました。 (文責:大原克彰)


●体験・展示など
あずまり4
【ゆるキャラ】
メインのホールでいろいろなイベントをやっていたのでそちらを見に行こうとホールへ向かうその途中、長井市の「バーニック」や山形県の「きてけろくん」、舟形町の「女神ちゃん」など、各地域のゆるキャラがお出迎えをしてくれました。みんなで記念撮影をしたり、握手をしたり。自分の知らなかったキャラクターもいて、県内にこんなにたくさんゆるキャラがいるのかと、とても驚きました。               (文責:宍戸浩介)

あずまり5

【天童アートロードプロジェクト】
「天童アートロードプロジェクト」の、かんたんお気軽ラクガキ似顔絵「スケルメン」を体験しました。「スケルメン」とは、透ける(透明な)板を使ったラクガキ遊びです。
団体のブースに、「スケルメン」のつくりかたという説明書き看板がありましたので、読んでいくと次の通りになります。

①二人で向かい合って座ります。あいさつもします。
②お互いの顔に透明な板をあて、顔や体の輪郭を描きます。板は描く相手にもってもらうと描きやすいです。
③輪郭線を描いた面を裏返しにして、色を塗っていきます。見えた通りもOK!心の色でもOK!ヘンテコでもOK! 楽しく塗りましょう。
④はさみで板をいい感じに切り抜いて完成!
さあみんなでLet'sスケルメン!

ということですので、さっそく体験です。二人一組なので、いっしょに参加していた『まどあかり』編集部協力者の宍戸くんとやってみました。
「天童アートロードプロジェクト」のイシザワエリさんからアドバイスを貰いつつ、会話をしながら進めていきました
彼(宍戸くん)の顔を近くで見るのは初めてで、何故かはわかりませんが楽しくなってきました。
次に自分が描かれる番でも、自然と笑顔になってしまいます。
お互いベースになる輪郭を描き終わり、色を塗っていき完成です。
完成した「スケルメン」は、ぜひ写真(右)で確認してみてください。似てるでしょ(笑)。
久々に絵を描いて、純粋に楽しかったです。こちらの団体のブースはとても人気があり、子どもから大人まで、みんな楽しそうに「スケルメン」をつくっていたのが印象的でした。 (文責:亀山勇樹)

あずまり6


【山形大学フリーペーパーサークル "Y-ai!"】 
会場の一角で、山形大学の学生フリーペーパーサークル「Y-ai!」のみなさんが活動紹介のブースを設けていたので見学させていただきました。「Y-ai!」は「もっともっーと元気な山形を」をコンセプトに、山形のモノ・人・街の魅力をフリーペーパーとして発信するサークルです。ブースでは『Y-ai!』最新号である9号の無料配布やバックナンバーの展示などが行われていました。ブースにいらした学生さんにお話を伺うと、『Y-ai!』では企画や取材、編集に至るまで全て学生自身が行っているのだそうです。そのバイタリティの高さに驚かされるとともに、同じく冊子を発行している身として、とてもよい刺激を受けました。 (文責:大原克彰)

●食
【東根風お好み焼き♪おこふ宣隊】
「食」のブースは全部で16もの出店があり、どれも美味しそうな匂いがしてきます。その中で自分は、東根風お好み焼きご当地グルメ「東根おこふ」を食べました。美味しかった! 「東根おこふ」とは、東根市に古くから伝わる特産品「焼き麩」を使ったお好み焼きで、肉のような味つけをしたお麩が入っているのが特徴です。ぜひ食べてみてください。(文責:亀山勇樹)

前転フェスティバル

みさわ

12月3日21時から翌4日の5時にかけて、山形市本町にあるシェア・アパート「ミサワクラス」(もともと旅館だった建物を改造したもの)で開催された音楽イベント「前転フェスティバル」に足を運びました。



この「ミサワクラス」では、アーティスト・音楽家・写真家・建築士・デザイナー・東北芸術工科大学の学生・社会人など、さまざまな人たちが共同生活をおこないつつ、制作活動をし ています。
引き戸の玄関を開けると、靴が敷き詰められていて、細い階段を進むと、ふだんは住居スペースや台所として利用されている場所が、会場に様 変わりしていました。
受付を済ませて、薄暗い奥のスペースに行くと、即興のギター演奏や、弾き語りのライブ、ノイズミュージックの歴史講座、DJイベント、自主映画上映など、さまざまなイベントが時間ごとに開催されていました。

みさわ2

夜通し行われるイベントということもあって、簡易ベッドを組み立てた宿泊施設や、シャワーを有料で使用できるサービスが用意されていて、関わっている人たちの工夫や「楽しんでやるぞ」といった心意気を感じることができました。
他にも、芋煮を食べる人、アルコールを飲みつつイベントを楽しんでいる人など、参加している人がそれぞれに楽しんでいました。
弾き語りライブでは「500マイル」など数曲をギターで弾き語りをしていて、静かな時間が流れていると思ったら、その次に行われたノイズミュージックの歴史講座では、時代系列順に楽曲のレコードをかけつつ、後ろでは大画面と大音量で、そのアーティストに関連したプロモーション・ビデオが流されていて、それについての解説を行うという、授業のような構成が、見ていて新鮮でした。


みさわ3




今回、「ミサワクラス」に住んでいる方と話をする機会があり、このあたりも空洞化が進んでいて、周りに住んでいる人がいないため、夜中に大音量を出しても苦情はほとんど来ないという話が印象に残りました。
空洞化したからこそ、夜通しで音楽イベントを開催することができることに、何か新しいことが山形ではじまる可能性を感じつつ、深夜1時すぎに「ミサワハウス」を後にしたのでした。

(文責:大場茂慶)

咲良さくらさん


さくらさん1
前号の『まどあかり(2016年秋号)』でもご紹介した、山形市出身の高校生で、県内のライブハウスやイベントなどでピアノの弾き語りを行っている咲良さくらさん。
学生として勉強に励むかたわら、アーティストとしても日々精力的に活動しているさくらさんは、将来の目標として音楽で食べていきたいと語ります。一体、どんな思いや考えをもって活動されているのでしょう。この度、編集部の大原克彰がお話をうかがってきました。     (文責:大原克彰)
―― さくらさんが音楽活動を始めた経緯を教えてください。 
音楽活動は2015年の6月からスタートしました。元々、わたしがカラオケで歌った動画などをYoutube上にアップしてまして。その動画をいつも母がfacebookでシェアしてくれてたんですが、それを母の知人で新庄にあるライブバーの関係者さんが見てくださり、「よかったらうちで演奏しませんか?」と誘ってくださったのがキッカケです。

――そこからどのように活動を展開されていったのでしょう?
新庄でのライブ当日、たまたま会場に山形のCMソングなどを歌っているタダセンパイ(※多田宗晃さん)が来ていて「次はうちでもライブしませんか?」とオファーくださったんです。タダセンパイも新庄で「となりのcafé」というバーを運営されていまして、次にそこで演奏することになりました。そのステージで「山形を熱くしよう!プロジェクト」発起人でシンガーソングライターのkiyoさんと出会い、それから時折、kiyoさんのライブなどに呼んでいただくようになったんです。そこから徐々に県内各地で弾き語りのライブをしていくようになりました。つながってつながって今がある…という感じですね。

―― 音楽にはいつ頃から関心を持たれてたんですか?2歳か3歳くらいのときからピアノに触れていたので、音楽が常にそばにあって当たり前という環境の中で育ってきました。実は父がドラマーだったり、祖父母が民謡を歌っていたり、全員が何らかの形で音楽に関わっているような家庭だったんですね。

――そのころから既にアーティストになりたいという夢はおもちだったのでしょうか? 
よくは覚えてないのですが、思い返してみれば幼稚園のころから既に人前で何かしたいという願望がありました。そのころから目立ちたがりな性格だったのかもしれません(笑)。それで気づいたら、音楽一本でご飯を食べていきたいという夢をもつようになっていました。


さくらさん2

――さくらさんはいま現在、学生でいらっしゃいますが、学業と音楽活動をかけもちするというスタイルは少々珍しいかなと思います。大多数の同世代とは違った道を歩まれることに対して不安などもあったかと思いますが、自分の中ではどのように折り合いをつけていますか?
 不安に思うことも少しありますが、あまり長くは悩まないようにしています。というのも、わたし人と関わるのがとっても苦手で。小中学生のときなど学校に行きづらいと思うことが多々あったんですが、音楽を通してそうした不安な気持ちを放出することができたんです。エネルギーをぶつける場所を見つけられたというか。だから音楽を続けていけば何とかなるんじゃないかなって。
もちろん、これから先それなりにいろいろあるかもしれませんが、それでも自分が決めたことなので自信をもって活動していかなきゃなって思ってます。でなければ聞いてくれるお客さんたちに何も伝わらないんじゃないかと。

――筆者[大原]は音楽に詳しいわけではないですが、以前さくらさんのライブを拝見させていただいた際、確かに歌ってらっしゃるときのさくらさんの声には迷いがないというか、すごくストレートな感じがしました。 
「この声出るかな?」とか不安に思っていたら余計に出なくなっちゃうんですよね。実際、それで過去に失敗したこともあったので、今は「やる!」って決めたんなら不安なんて取っ払ってやっていかなくちゃと思ってます。

――歌やピアノの練習はどれくらいされてるんですか? 
歌は家に一人でいるとき常に歌ってますね。気づけば口ずさんでいる感じです。下手するとテレビを見てるときも歌ってますね(笑)。ピアノについては、自宅に電子ピアノがあるんですが、出し入れが少し大変なので常に練習するというわけにはいかず、気が向いたら引っ張りだしてきて、そこからがっつり練習するスタイルをとっています。急にスイッチが入ったときなんかはご飯を食べるのを忘れて曲づくりに熱中したり、カバー曲を練習する場合は、わたしは楽譜があまり読めないのでCDなどを耳で聞いて覚えたりしています。耳で覚えられるのは、小さいころからピアノをやっていた影響が大きいんじゃないかなと思います。

――県内あちこちで活動されてるさくらさんですが、自分の知らない場所に出向くことは大変ではないでしょうか? 
いろいろな場所でライブをしたい、という思いがあるので行けるところだったらどこでも行きます。やはり自分から動かなければと思いまして。ただ、いまはまだ両親の協力がないと――いかんせん足がないので――活動できないという問題はありますね。

――なるほど。しかし、行動範囲に少し制限は出てくるものの、音楽活動を通しいろいろな場所に出向くことで、学校では得られないような経験もたくさん得ることができそうですね。
そうですね。やっぱり学校だけだと経験できることも限られてくると思いますし、例え同じ経験ひとつとっても、大人になってからの自分といまの年齢の自分では、捉えかたも違ってくるんじゃないかなと。それだったら学校だけで完結するよりは、わたしは外でいろんなことを知りたいです。

――最後に、今後の展望はありますか?
先ほども少し述べましたが、県内外問わずもっといろいろな場所で演奏していきたいですね。また、この活動をスタートしたときから決めていることですが、音楽だけで食べていけたらなと思います。そして一生音楽を続けていきたいです。
わたしにとって音楽は技術を見せつけることではなく、自分のしたいこと、やりたいこと、伝えたいことを形にして奏でることだと思っています。なので、自分をさらけ出すというか、何も偽りのないような音楽を目指したいです。

――― ありがとうございました!               (了)

くまのさん、 養蜂はじめたって 本当ですか? ~ぬまのひろし(無職)~

くまのさん

「くまのひろし氏が養蜂をはじめたらしい」という、ある事情通からの確かな情報を元に、私ぬまのひろしは新庄へ飛んだ。
彼との初対面の模様は本誌既報のとおり、ちょうど一年ほど前になるだろうか、“ヒトよりちょっと毛深い(※クマにしか見えないていど)ためか職が定まらず、アルバイトを転々としつつも3人の子どもを養うふつうの男性(33歳無職)”、それがくまのひろし氏である。私は他人とは思えない何かを彼に感じ、熱く語りあったものである。
その彼が養蜂!? いろいろ大丈夫なのだろうか。不安は尽きぬまま、新庄に降り立った私を迎えたのは、変わらぬ笑顔の彼であった――。



くまのさん2

ぬまのひろし(以下ぬ) こんにちは。お久しぶりです。
くまのひろし(以下く) お久しぶりです。またお会いできてうれしいです。
ぬ 私もです。会いたくて会いたくて震えてました。本当です。さて、養蜂はじめたって本当ですか? どうしてまた?

くまのさん3

く はい。本当です。昨年の春からですね、縁あって新庄の養蜂家の方のもとで修行させていただいてました。ご高齢で跡継ぎもなく、そろそろ引き継いでくれないかとのことで今に至ります。
ぬ マジのガチなんですね。はじめてみていかがですか?
く とても楽しくやらせてもらってます。山の中でハチと花とを相手にしていると、もしかしてこれが僕の本来の姿なのかと思うほど、なんというか解放感のようなものに包まれますね。それに…

――「ハチは俺を差別しない」。そう続けた彼が私にはモハメド・アリに見えた。単に黒いからかも。話は続く。

く …(略)そういえば去年作業中にうまれてはじめてクマを見ました。怖かったです。あと蜜源の種類と時期は…(略)

――長い。が、要するに養蜂は楽しくて奥深くて楽しくて最高らしい。それはわかった。もうダメだ。興奮してきた。さっきからそこにあるのだ。私は唐突に切り出した。

ぬ ハチミツたべたいなぁ。あ、いえ、試食とかないんすか?
く 失礼しました。どうぞ。
ぬ どれどれ………ん!……うん!?……ゥンまああ〜〜いっ!!!ほとばしる甘味! めくるめく幸福! 絶対的法悦! これほどまでの圧倒的ヨロコビが現世にあったとはーー!!!
く ありがとうございます。
ぬ どんなに絶賛してもしたりないぃぃ! もはや何をか言わんや! イチオク万円分ください!
く すみません。今期のぶんはほとんど売れてしまったんです。
ぬ (しばし慟哭)ではせめてどこで食べられるかだけでもっ……!
く 戸沢村の国道47号線にあるあの超有名ドライブイン、「白糸の滝ドライブイン」さんの「パーラー白糸の滝」で「くまのさんのパンケーキ」として食べられます。
ぬ 絶対行く! イクッ! イク―――!!
く さらに今年の5月くらいまで待っていただければ、県内各地のイベントやお店で買えます。
ぬ 一瓶15万でも買います!!!
く そんなに高くはありませんよ。時価ではありますが1.2㎏瓶だと5,000円前後でお売りできると思います。
ぬ ゲェ!!! ゲボ安いボゥェエエッ!!!
く 落ち着いてください。
ぬ はい。落ち着きました。
く みんなで
ぬ 買おう
 くまさんのはちみつ。

くまのさん4         

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プロフィール ぬまのひろし
1983年、新庄市生まれ。貧困などをテーマにした「持たざる者のためのデザイン」を標榜し実践。新庄を拠点に“カナリヤ”活動を各方面で繰り広げる。無職。

「ほんきこ。」から 「Book!Book!Okitama」 までの道 ~荒澤 久美 (『ほんきこ。』編集長)~

ほんきこ

ほんきこ。」というミニコミ誌が生まれたのは今から14年前(2003年)のこと。図書館に出入りしていた20代後半の若者6人で、たった12ページの冊子を300部、すべて手作業で製作することからはじまった。ちょうど独り暮らしを始めた私のアパートで夜な夜な繰り広げられていた、実にくだらない話。そこから企画や特集は生まれた。内容は主に、仕事や恋愛、結婚について。自分が思っていること、悩んでいること(「人生相談」コーナーは人気だった)。遠くへ旅する者もいれば、自分の趣味について熱く語る文章もあった。混沌としていた「自分探し」時代である。

ほんきこ2

もともと来る者拒まず、去る者追わずをモットーとしたゆる~い団体なので、メンバーは20名ほどに増え、内容は益々バラエティに富み特集の厚みが出てきた。と同時に、結婚や出産体験記、子育て、家族、生活について書く者も出てきた。中心メンバーが30代に入り、ライフステージが変わったのだ。私自身も結婚し子育てが始まると、冊子発行の編集や印刷に費やす時間が全くなくなった。なので、活動の中心を「読書会」に変更。担当者がテーマや場所、運営すべて段取り、誰でも回せるしくみにした。

ほんきこ。」の活動が長年続けられた秘訣は、ここにあると思う。そのときできる者が、無理のない範囲の内容ですること。20代~30代~40代では、社会的役割はさることながら、周りから求められることと、自分個人でやりたいことの割合が違う=時間の使いかたが違うのだ。だからそのときにできる範囲のことをする。そのうち、健康や介護、墓問題などの特集が出てくるだろう(笑)。


ほんきこ。」は日常のゆるい小さなコミュニティの場。それをイベント化したのが「Book!Book!Okitama」(以下BBO)である。BBOは「本」を通してひと、店、まちがつながることを目的としている。「本」のいろんな楽しみかたや可能性を見出し、置賜内のカフェやギャラリー、書店、図書館などに協賛いただくことで、私たちが住んでいる地域を違った側面から知るきっかけとなった。

ほんきこ3

ほんきこ4


3回目のBBOが終了した昨年、今まで関わった本づくりのプロの方(装丁家、漫画家、編集者など)の原稿やトークイベント内容、書評、まちのひとの紹介などをまとめた「nda nda!(んだ んだ)」という冊子を発行した。「ほんきこ。」と大きく違うのは、こちらは冊子を購入していただくことで運営費に使用できるよう販売物として製作したこと。人間、「お金」が絡むと(笑)、「ほんきこ。(マジ)」になる。手にとってもらえる表紙デザインとタイトル、レイアウト、写真、読んで何らかの楽しさを感じてもらえるか、得した気分にさせる情報を掲載できたか、コアなひとだけでなく活字が苦手なひとにも興味をもってもらえるか・・・などなど。読者ターゲットをどこにするか、いちばん迷った。

ほんきこ5

イベントを通して知り合った本づくりのプロの人たちとの関わりで、私の出版物製作への意識は明らかに変わったと思う。そして、発行したのはいいが、これからが本番だということにも気がついた(遅い?)。宣伝、営業、取扱店との交渉、納品、集金・・・。書店などに置いた場合、いかに目立たせたポップにするか、実行委員と知恵を出し合い、手売りをし、反応を見ながら営業をしている。伝えたいのは、BBO本来の目的と、地域からの情報発信。これから知らず知らずのうちに消えていく地域独自の文化がある。それらを残していきたいという思い。

もっぱら「ほんきこ。」よりもほんきこになって宣伝、営業、販売している私である。販売物としての「冊子」づくりの挑戦はまだ始まったばかりだ。(了)

山形ルービックキューブ会

るーびっく1


11月6日(日)13:00~17:00に、山形まなび館(山形市)で行われた丸谷健太さん主催の「山形ルービックキューブ会」に参加してきました。
山形をはじめ、東北各地のキュービストが集まって情報交換をしたり、タイムを計ったりしていました。
また、初心者もていねいに教えてもらえるとポスターにあったので、初めての私も参加させていただきました。丸谷さんに指導していただいたことがある「ぷらっとほーむ」メンバーもいっしょに参加してきました。

会場には、13×13×13の巨大ルービックキューブ、カレンダータイプ、ピラミッド型など、いろんな種類のルービックキューブがありました。カレンダータイプのものを説明していただいたのですが、うるう年も含めてすべての月に対応することを聞き、驚きました。ルービックキューブ初心者の私ですが、お話を聞いていてルービックキューブに対する熱い思いをひしひしと感じました。
場が和んでから、記録計測が行われました。5回キューブを完成させて、平均タイムを出すそうです。私は、このイベントに参加して3時間以上かけてようやく完成させることができたので、5回完成させると聞くだけで気が遠くなりそうでした。早い方だと平均11秒で1回完成させるそうです。記録計測が行われている一方では、足でルービックキューブを操作する方、13×13×13の巨大で目が細かいルービックキューブの記録に挑戦する方もいました。13×13×13を完成させた方は世界記録並みのタイムが出、会場が一気に盛り上がりました!!

まるやさん2

「ぷらっとほーむ」メンバーは、数分で完成できるようになったので1回記録計測に挑戦させていただきました! すると見事、3分台で完成。「目指せ! 1分台!」と丸谷さんより激励をもらっていたようです。
今回の「山形ルービックキューブ会」には、6才~50代まで幅広い年齢層の方たちが参加していました。ルービックキューブを介して人と人の交流が生まれる魅力、一方でルービックキューブを完成するために集中することへの魅力を感じました。
何より、初めて参加する人たちへの、丸谷さんはじめ「山形ルービックキューブ会」の方がたの楽しい雰囲気づくりがルービックキューブへの架け橋だと感じました。         
(文責:鈴木晴菜)

トランジションタウン準備室(2) 近ごろ起きた 小さな動きと 大きな変化 農的暮らし研究所 こまつかおる

こまつさん

前回、「トランジションタウン」についてどんな活動なのかを説明したものの、この説明がどれだけの人に届いているのか不安になり、急遽仕切り直して夏号から始まった「トランジションタウン準備室」。私の中でも、準備室になったことで頭の整理がつき、ふだんからの呼びかけにも冷静さが出てきたように感じます(笑)。

そんな中、私の周りでようやく「トランジションタウン」――地域自給を目指す提案と実践活動。地球温暖化や災害、ピークオイル(石油の枯渇)という地球規模の危機に対し、地域レベルでコミュニティをつくり直し、市民の創意と工夫と地元の資源(人・モノ・コト)を活用して、自分の足元から小さな変化を生み出し、その輪を楽しくつなげていく活動――という言葉に反応して声をかけてくれる人たちが徐々に集まりはじめました。「こんな素敵なつながりがあるなんて知らなかった~。山形ではじめるときは絶対に声をかけてね!」と県内各地域から声がかかるようになってきました。


そこで今回は、第一回説明会の報告と、はじまったらやってみたい部活動のお話をしたいと思います。


その1
トランジションタウン・ゴサロ
はじめのはじめのお話会 開催



新庄市地域おこし協力隊の吉野ゆうみさんからお声がけいただき、11月26日に、新庄市内にあるコワーキングスペース「ゴサロ」さんにて、「トランジションタウン説明会」を開催させていただきました。

内容としては、どんな活動なのかと簡単なはじめかたについてのお話です。平日の午前とあって、集まった人数は7名ほどでしたが、もともと地域コミュニティや持続可能な社会づくりに関心の高い方たちが集まってくださり、終始活発に意見が交わされ、この後、自発的に「トランジションタウン」が始まっていきそうなよい会になりました。

この説明会を開いて感じたのは、参加された一人ひとりがすでに地域課題に向き合っているということでした。「トランジションタウン」で大切なことのひとつが、みんなと課題解決していくこと、それぞれが自立し意欲的に参加していくことです。その点からも、「トランジションタウン・ゴサロ」に今すぐにでも出発できそうな勢いを感じました。「山形でも、そろそろトランジションタウンができるんじゃないのぉ~!」という期待で胸がいっぱいです。


その2
トランジションタウンの部活アイデア紹介



私が仲間と「トランジションタウン」を始めたら、まずつくりたいのが、魅力ある部活動。他の「トランジションタウン」でよくある部活動の紹介をすると、【畑部】、【自然エネルギー部】、【発酵部】、【DIY部】、【地域通貨部】などなど、自分たちの生活に役立つような魅力あふれる内容のものがたくさんあります。

そこで、「トランジションタウン山形(仮)」にあったらいいなぁと思うのが、【やまがたスパイス部】。小松家のパーカル先生こと、インド在住のチャタジーさんが春に山形に来られた際に、「パーマカルチャー勉強会」でアドバイスしてくれたものです。

このアイディアのきっかけは、上山市で昔ながらのお豆腐屋さんをはじめたいとがんばっている中沢花織さんが丹精込めてつくったお豆腐を――応援も兼ねて――食べる会を開いた際にあった、ある提案です。それは、より美味しく食べるための七味をみんなでつくってみたらどうか?という提案でした。ある人は唐辛子を栽培し、別の人は山椒を山から採ってくる。無農薬ミカンの皮を探してみるとか、もし手に入らなければ、それに代わる柑橘類が住んでいる地域の中にないか探してみる、などなど、些細なことですが誰かのためにもなって、地域の植生もわかって、自分で栽培してみようという意欲もわいて、みんなで持ち寄ったスパイスから「スペシャル七味」をつくって、楽しく集まれるなんていいですよね。山形で開くときは、絶対に部活動のひとつにしたいと思っています。


みなさん、少しずつ「トランジションタウン」という生きかたの動きが見えてきましたね。都会でも田舎でも、いいなと思ったことからはじめてみる。ちょっとした実践を繰り返していきましょう。楽しくつながれて、地元の人も移住者も仲良くなれるような地域がつくれたら素敵ですね! ビバローカル!!


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プロフィール こまつかおる
1980年生、庄内町在住。昨年度より夫の庄内町地域おこし協
力隊に伴い15年ぶりに庄内町に近距離Uターン。農的暮らし
研究所という名前で、50年前の循環型の農を中心とした暮ら
しの提案や暮らしの中へ落とし込むためのワークショップを
不定期で開催しています。
プロフィール

ぷらっとほーむ 「まどあかり」編集部

Author:ぷらっとほーむ 「まどあかり」編集部
山形市にある「NPOぷらっとほーむ」の〈若者の居場所づくり活動支援事業〉のブログです。
山形県内各地で活動している若者団体や個人のインタビュー、イベント情報や参加レポートなどを随時更新していきます。

2016年度の本事業は、〈一般財団法人 人間塾〉の助成を受けて取組んでいるものです。
〈一般財団法人 人間塾〉

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