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地域の方々と一緒につくる 子どもたちのための居場所 吉田 祐子 (やまがた子どもアトリエ)

子どもアトリエ

2013年3月、尊敬する友人・結城ななせさんと二人で「やまがたこどもアトリエ」という活動を始めた。「子どもたちに創造的で豊かな放課後の居場所を提供する」ことを目的に、①モノをつくる・描くなどの「造形体験」と、②さまざまな技術や知恵をもった地域の大人(企業・個人)に市民先生となってもらい開催する「職業体験」の二つのプログラムを実施している。





なぜこのような活動を始めたのか。そのきっかけと今後の展開についてお話したいと思う。私は子どもの頃、義務教育の「学校」という場所が苦手だった。

誰が決めたかよくかわからない曖昧な基準と比較して、太っている、勉強ができない、変な歩きかたをする、髪型がおかしい…と決めつけて他者をけなし、排除する。同じ時間に特定の子どもたちが同じ教室に集まって授業を受け、他者と足並みをそろえることを強要されているような気分になる。しかし、それに抵抗するための知識ももっていなかったし、言葉を発することもできなかった。ただひたすら自分の想いを押し殺して、学校という空間に馴染もうと必死にふるまった。自分の容姿や考えを否定される、自分の想いを素直に表現できないというのは、本当につらく苦しい。

それを救ってくれたのが、学校の授業が終わった後の「放課後の時間」だった。小・中学生の頃は、放課後の時間は自然の中で遊び「木の家をつくって動物たちと暮らしてみたい」「空を飛んで、雲のベッドで寝たい」「木で大きなブランコをつくりたい」など、数々の妄想を膨らませては絵で表現するのが大好きだった。

絵はひとりでも描けるし、ひとりでも十分楽しかったが、あるとき、自分の絵に関心を寄せてくれる他者(近所に住む大人たちや子どもたち)がいることに気づいた。自分の描いた絵をきっかけに、私は何が好きなのか、どんなことをしたいのかを語り、相手も自分の想いを語る。お互いの話をじっくりと聞き、世界(視野)を広げ、いいところを認め合うたびにワクワク感と喜びを感じた。


造形(芸術)の世界に夢中になった私は、地元・埼玉県内で芸術コースのある高校に進学し、3年間絵画制作漬けの日々を送った後、豊かな自然環境に惹かれて山形県の美術大学に進学。大学では、アトリエで作品を制作して、公募展で賞を取ることや有名な画廊で展示会をすることを目指す人が多かった。それは、絵で食べていくための近道になるかもしれないが、作品=商品、鑑賞者=客という捉えかたをすることがあったり、社会的に価値が認められた作品・作家なら絵の内容に限らず売れたり、作品・作家と鑑賞者の間に距離があったりすることに違和感を覚える自分もいた。

そんなとき、「地域」に出ていく機会に巡り合った。過疎化・少子高齢化が進んでいる山形県内の中山間地域で、住民たちと交流しながら風景画の制作や展示、ワークショップなどを開催したり、子どもたちといっしょに造形(芸術)活動をしたり…。地域に入るということは、もちろん簡単なことではなく、最初は「芸術なんて自分にはわからねぇ」と言われて会話が終わることもしばしばあった。時間をかけて地域の方々に寄り添い、その声に耳を傾け、いっしょに何かをつくっていくことが重要だと感じた。そのうち、「芸術なんて…」とつぶやいていた方々が「作品(ワークショップ)をきっかけに地域(周りの人)のいいところ再確認した」と言ってくれるようになった。

子どもアトリエ2


最初から完璧な人間なんていない。理想に向かって努力することは大切だけど、常に完成されたものを提供しなくてもいい。足りないところ、未熟な部分があるあるからこそ、多くの人が意見を言いやすく、力も貸してくれるんじゃないか。相手の意見に耳を傾けながら、目標に向かっていっしょに何かをつくっていくと、自分も相手もつくったものに愛着がわく。地域での活動を通じて学んだことが、今につながっている。





現在は、「やまがた子どもアトリエ」の活動を行う中で出会った「YAMAGATA DESIGN株式会社」のメンバーとして働いている。「YAMAGATA DESIGN」では、山形県鶴岡市覚岸寺周辺を舞台に、バイオ産業のための「産業棟」、交流拠点となる「ホテル棟」、地域の子どもたちのための学び場「子ども棟」の開発を進めている。私が担当している「子ども棟」では、6歳までの保育と12歳までのアフタースクールがメイン。ここでは、毎日さまざまなワークショップが開催され、子どもたちが自分の意思でやりたいことを選び、好きなことに夢中になれる施設を目指している。

私たちが一方的に施設(商品やサービス)を提供するのではなく、地域の方々の力を借りていっしょにつくっていきたい。そのためのしくみづくりに取り組んでいきたいと考えている。



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プロフィール  吉田祐子(よしだ ゆうこ)
1987年埼玉県生まれ。東北芸術工科大学への進学をきっかけに山形県へ。2013年、市内の学童保育所に勤務する傍ら、山形県鶴岡市を拠点に「やまがたこどもアトリエ」の活動をスタート。2015年4月よりYAMAGATA DESIGN株式会社に勤務。
■FBページ:www.facebook.com/yamagatakodomoatelier
■Webサイト:http://yamagata-design.com/
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安保法案反対デモ

現在、安保法案反対のデモが日本各地で活発に行われていますが、山形市内でもこうしたデモがもりあがりを見せています。

この度『まどあかり』編集部も9月15日(火)に行われた「安保法案に反対する緊急山形アクション」と、9月17日(木)に行われた「ストップ!戦争法案9.17県民集会」という、二つのデモに参加してきました。


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デモ


 最初に編集部が参加した「安保法案に反対する緊急山形アクション」は、安保法案に対する危機感をみんなで共有し、反対の声をあげられるように学生団体「SEALDs TOHOKU」が企画したデモです。「SEALDs TOHOKU」は、宮城県の学生が中心となって結成された団体で、非暴力・平和主義を掲げ、自由で民主的な日本を守ろうと東北の各地でさまざまなアクションを展開しています。今回のデモは、17時半に第二公園(ホテルキャッスル隣)に集合し、18時から行進をスタート。第二公園から山形市役所前までを目指して大規模なデモパレードを行いました。「SEALDs TOHOKU」にとって山形でのデモは今回がはじめてということもあり、編集部が集合場所の第二公園を訪れると、そこにはデモ参加者のみならず報道陣もたくさん駆けつけており、行進を開始する前から会場はすでに大変なにぎわいを見せていました。

17時半になると、行進開始に先立って、「SEALDs TOHOKU」のメンバーや、彼らの活動を応援する方がたからのスピーチがありました。個人的にその中でも特に印象に残ったのは「多数決で選ばれた政治家の人びとに全てを任せるだけが民主主義ではない。主権者国民が直接声をあげる民主主義のありかたもあっていい。間接民主制と直接民主制が相互に補完しあって、より豊かな政治文化を形づくられていくはずだ」という山形大学の中島宏先生の言葉です。正直、これまで政治といえば、選挙で選ばれた代表者たちが決めたことは絶対、というイメージがありましたが、「SEALDs」をはじめ、日本各地で行われている安保法案反対の運動を見ていると、決してそんなことはなく、もし政府の人びとの行いに違和感を覚えたら、声に出して訴え、歯止めをかけることも可能なのだと知りました。

そしてスピーチが終了すると、いよいよデモ行進の開始。偶然、編集部が待機していた場所が行進の最前列にあたっていたらしく、その流れで「SEALDs TOHOKU」や東北芸術工科大学の学生たちといっしょに横断幕をもって先頭を歩くことになりました。行進中は「強行採決絶対反対!」「民主主義ってなんだ! なんだ!」といった語呂のいいコールを唱えます。また、今回は山形版のコールも用意されていて、「安保法案絶対止めるべ!」「法案通せば国民ごしゃくぞ!」など、山形弁を取り入れたユニークなものまで。はじめはコールを唱えるのに気恥かしさもありましたが、行進していくうちに徐々に声にも張りが出て、最後にはお腹の底から声を出すことができるようになりました。

 行進中は、同じ違和感を抱えている人びと同士で集まって声をあげていることに対し、非常に心強いものを感じました。

デモ2


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デモ3


 霞城セントラル広場にて行われたデモ「ストップ!戦争法案9.17県民集会」は「ぷらっとほーむ」メンバーの皆さんといっしょに参加してきました。こちらは都合上、最初のほうの行進までしか参加できなかったのですが、当日は雨にも関わらず会場の熱気は凄まじいものでした。主催者側からの発表によると、この日のデモ参加者は約750名。現政権の行いに対し、どれだけたくさんの人びとが同じ思いを抱いているのかがはっきりとわかります。また、「SEALDs TOHOKU」のときもそうでしたが、参加者の中には、子どもや若者の姿も多く見えました。デモは決してハードルの高くない、誰でも気軽に参加できるイベントです。安保法案の問題はもちろんですが、それ以外の日常のどんな些細な違和感でも、私たち国民にはそれらを声にあげて主張する権利が保証されています。今回のようなデモを一時的なブームで終わらせるのではなく、ぜひとも継続していってほしいし、継続していきたいとも思います。(文責:大原 克彰)

[アート篇] アートを支援する、とは? 山田正一郎 (夜間美術大学 主宰)

①芸術家が活動を続けやすくなるような取り組みや枠組みとはどのようなものか?

②そのために芸術的な活動への公的支援を求めていく場合、どのような言葉で社会に対し支援の必要性や妥当性を説明するか?

前号(2015年夏号)では、これらをテーマに勉強会を行うとお伝えしました。7月6日に行なわれた第8回の勉強会では、その前号の記事をたたき台に議論しました。以下に当日の主な論点を2つ紹介します。

○支援のかたち
・芸術家への直接的な支援ではなく、市民の芸術鑑賞にかかる費用への助成など、間接的な支援であるべき。
・芸術鑑賞への助成が実現したとしても普段芸術に興味のない人が、美術館などに行くようになるとは思えない。
普段から、アーティストが人々の間に出向き展示のお知らせをするなど、日々の関係性作りが大事。
○アート・マネジメント
・関係性の構築は大事だが、アーティストはまず制作しないといけない。アーティストは、専門的な技術は高いが、コミュニケーションが苦手という人が多い。
・日本では、アーティストのまわりに支援する人が少ない。アート・マネジメントとして、芸術家と社会を繋ぐ役割を担える人をまず育てる必要がある。

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夜間美大


参加者の意見から、芸術家への直接的な支援だけでなく、アートと社会を繋ぐアート・マネジメント的な視点からも考える必要性を感じました。
8回は以上のように、芸術家への「直接支援」をテーマにしましたが、続く8月19日に行なわれた第9回では芸術家への「中間支援」に視点をずらし、「芸術文化の育て方」をテーマに、芸術家を取り巻く環境をいかに改善するべきかを考えました。

○まず前回話題になったアート・マネジメントについて、ネットTAM(AMに関する総合情報サイトhttp://www.nettam.jp)の記事「アート・マネジメント入門1」を紹介しました。
・記事によれば、アート・マネジメントとは、実践(展覧会の企画や準備。チケット販売。資金集め。広報や市場調査)と、探求(芸術文化と社会との最も好ましいかかわりを探求)の2面がともにあるもの。
・「studioこぐま」大沼さん――アート・マネジメントの講座を受講した。主催団体では当時有給のスタッフは2人しかいなかった。たくさんの人が関わるアートプロジェクトだが、実際に有給で働くスタッフは少ない場合が多い。
・企画したプロジェクトで助成金を受けたこともあるが、書類など作るのが大変だった。
・地域アートの活動によって、まちの何が変わったか、どんな価値が生まれたかは数値にできないもの。人の言葉からしか伝わらないもの。

○DIY
・「アトリエ欅」町田至さん――日常の中に芸術が必要と考え、2年前から展示を企画実施している。
・支援――「誰かにしてもらう」のを待つのではなく、「自分でなにかやらないと」という感覚が大事。

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私は、前号の時点では、アーティストへの支援として展示スペースが必要だと考えていました。しかし、様々な人と意見を交わすなかで、アーティストが大学などで芸術を学ぶなかで得た力を、作品を通して人に伝える場として展示スペースが必要ではないかと考え始めました。
アーティストは作品によって、人を鼓舞したり、感情を前向きに動かしたりすることができますが、そのような力が社会で十分に活用されていないように感じます。
また、第8回では、テーマ②に関して「社会には多様性が必要。多様であることが社会において必ずしも当たり前ではないことを知るきっかけとして芸術は大事」という発言がありました。
近年、多様な表現の受け皿になっている場として「オルタナティヴスペース」が全国的に増えています。
オルタナティヴスペースとは、行政や企業が運営する美術館やギャラリーの代替(オルタナティヴ)となり、多種多彩な(しばしば実験的で先鋭的な)表現の舞台として機能する多目的空間を指します。
いま必要なのは、このような、ただ作品の展示をするだけでなく、社会における主流とは異なる価値観に出会える場なのかもしれません。

次回は、『アートプロジェクト――芸術と共創する社会』(水曜社、2014年)内の対談「なぜアートプロジェクトの支援なのか」(pp.272‐292)をテキストに、引き続きアート支援について考えつつ、オルタナティヴスペースの実現も視野に入れ活動していきたいと思います。

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■プロフィール
山田正一郎(やまだしょういちろう)
東北芸術工科大学日本画専攻修了。 絵画制作の傍ら、アートと社会の関係を考える「夜間美術大学」を主宰。

[置賜篇]私がしたことは、 私が選んで決めたこと

「私がしたことは、私が選んで決めたこと」。
今回は、私の座右の銘について書いてみたいと思います。


私は小学生のころから、全く宿題ができない子どもでした。学力的に低かったというわけではない(と自分では思っている)のですが、長期休暇の課題は期日までに出せた記憶がありません。小学生のころは夏休みの日記を最終日に書き始め、結局提出しないまま卒業しました。中学生のときは、他の人の課題を借りて、名前を書き換えて提出しました。高校生のときには、あまりにも課題を出さないので、部活禁止令を食らった挙句、顧問が怒って部活に来なくなってしまい、部員全員からこっぴどく叱られました。大学生のときには、期末レポートの提出日がすぎてから、中間レポートにとりかかったこともあります。とにかくそんな調子で、社会人としてもかなりギリギリのラインを行っているところです。

さて、大学生のときにずいぶんと出すのが遅くなった中間レポートですが、その課題書籍から、私の座右の銘は生まれました。細かいところまで覚えているわけではないのですが、そこに書いてあったのは、「宿題をしないのは、結局は自分の意思による選択である」といった内容のことでした。お母さんに怒られるかもしれない、でも宿題をするのはめんどくさい。当時はあまり自覚していませんでしたが、こんなふうに選択肢を天秤にかけた結果として、私は宿題をしなかったのだと思います。


そんな当たり前のことを…、と思う人もいるかもしれません。でも、「『自分の意思』による選択である」という言葉の本当の意味は、もう少し深いところにあると私は考えています。私たちは、ただ単に「お母さんが怒る」ということと「宿題をしない」ということを天秤にかけているわけではなく、「お母さんに怒られるのは嫌だ」という『自分の意思』と、「宿題をするのがめんどくさい」という『自分の意思』を天秤にかけているのです。

例えば、私の友人が保育士免許のとれる大学に通っていたのですが、彼女は就活のときに揺れる胸の内を話してくれました。
――保育士の免許はとったけど、給料が安いから友達はみんな別の仕事を探してる。親戚はもっといいところに就職しろって言うし、母はせっかく資格をとったんだからって言うし、どうしたらいいかわからない。――

このとき、高い給料をもらうかもしれない友人をうらやましく思うのは『自分の意思』だし、親戚を見返してやりたいと思うのも『自分の意思』だし、母親を失望させたくないと思うのも『自分の意思』です。でも、そのことに気づかないと、何か不満があったときに「人のせい」にしてしまいがちになります。「あの子を見習ってこの仕事にしたのに、給料が安かった」とか、「皆が言うからここに就職したけど、やっぱりやりがいが感じられなかった」とか、「母が言ったから保育士になったけど、本当は別の仕事の方が向いていたんじゃないか」といった具合です。そして困ったことに、こうした「人のせい」は、残念ながら後悔と直結しているように感じるのです。


With優で関わる子ども・若者の中には、こうした「人のせい」の後悔で苦しんでいる人が少なくないように感じます。「学校の先生がこう言ったから」とか「家族が悲しむと思って」とか、そんな「人のせい」にとらわれて、そのことをずっとひきずっている人がたくさんいるのです。

でも、それが『自分の意思』による選択なのだと気づくと、後悔こそすれ、「人のせい」にはしなくなります。では、後悔もしないようにするにはどうしたらよいか。それは「『自分の意思』で選択している」ということを予め自覚することだと思います。そうすることで、自分で決めたのだからしかたない、と思えるようになるのではないでしょうか。なかなか簡単なことではありませんが、子どもたちには、後悔しない毎日を送ってほしいと思います。そのためにも、私も少しずつこのアドバイスを伝えていければと思います。


*参考までに、中間レポートの課題書籍は「アドラー心理学」に関するものでしたが、私は心理学の専門家ではありませんので、解釈には間違いもあるかと思います。ご了承ください。


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プロフィール
堀 仁美(ほり ひとみ)
NPO法人With優 若者支援専門員。山形大学人文学部卒・
山形大学大学院社会文化システム研究科。酒田市出身。

[庄内篇]スーパーカブって、 カッコよくない? カブって 素敵な 暮らしに寄り添う パーフェクトアイテムなのー! ~スーパーカブからみえる、心地よい関係と環境に優しい暮らし~ こまつかおる(農的暮らし研究所)

こまつさん


ビバ、ローカル! こまつかおるです。

前回紹介した「初対面の人にはニコニコ笑顔で心の壁を払いのけるレッスン」は実践してみたでしょうか? できたか、できなかったか、今度会ったときに簡単にテストしますので注意しておいてください(笑)。それでは、本題に入ります。 今回のお題は、「スーパーカブって、カッコよくない? カブって素敵な暮らしに寄り添うパーフェクトアイテムなのー!」です。


(1)スーパーカブとの出会い: 我が家のスーパーカブとの出会いは、さかのぼること3年前。ヒロさん(主人)が交通費の出ない職場に勤め始めました。月に2万円ほどのガソリン代! 震災後にこんなに石油を使ってもいいのか? そんなにお金もない!と、悩みました。そんなとき、カブって超低燃費らしいよ~」という噂を聞きつけ街のバイク屋さんへ行ってみることに…。


(2)スーパーカブとは: スーパーカブとは、高性能で高耐久性な、まさにスーパーバイクです。50㏄であれば、普通自動車免許でも乗ることができ、時速30㎞で走るので事故も少ない。車検なし。車庫証明不要。置く場所は、駐輪場でも大丈夫。オイル交換以外の経費は自賠責保険ぐらい。3,000㎞でオイル交換だから年1~2回程度。とにかく経済的で、環境に配慮してある乗り物ということをバイク屋の社長さんから話を聞き感動! 即決で、中古のカブを6万円で買いました。雨の日は危険なので乗らないことを決めヒロさんにカブ通勤を開始してもらうことに。給油は1~2週間に1回程度、大体満タン(4リットル程度)に詰めると500円くらい。ということは…、1カ月で2,000円! 自動車の10分の1に…!? 半年も乗ればもとが取れる最強の乗り物を知ることになるのです。ここから急にカブが好きになり、私たちが開学した4畳半市民大学「もちもち大学」でも講座を実施し、大盛況でした。雪道用タイヤも売っていますが安全を考え、我が家では「雪道運転禁止」にしています。いくらガソリン代を倹約しても、転んで怪我したら、まさに本末転倒。雪国の皆さん、ここは自動車やバス、電車とのベストミックスでいきましょう!


(3)カブがつなぎあわせる世代間のつながり: カブを購入した鈴木モータースの社長さんと意気投合したのには訳がありました。接客中のたわいもない会話で感じた共通点、家庭菜園の喜び、小さな起業の考えかた、無駄のない堅実な生きかたの話でもりあがりました。戦後の変革期に直面した世代(70~90代)と、時代の変革期に悩む私たち(20代~40代前半)の立場や状況が似ているためいちばん話があい、気持ちが通じあうということが証明されました。これは身内かどうかに関係なく世代間で交流できます。それから私たちはカブで暮らすたくさんの高齢者から里山で暮らす知恵や生きかたを聞いてきました。実際にカブを使った暮らしをすると車ほど生活範囲は広くありませんが、「自転車では行けなかったところに行けるようになります」。山菜採りやお買い物、通院、自転車で行けなかった仕事に通うこともできますし、商いのバッティングも避けられます。自転車のようなよさもあり、近所の人との挨拶、駐車場のない小さなお店にも行けます。そういった基準で、生きかたをデザインしていくのもよいのではないでしょうか。カブをきっかけに多くの先輩と、お話してみましょう! 会話の中に若い世代を励ましてくれる重要な言葉が含まれているはずです。


(4)最後に スーパーカブという選択肢を知ることで、みなさんの気持ちにゆとりが出てきたと思います。乗り始めて忘れて欲しくないのは、山形の交通安全スローガンにもあるように「ありますか、こころにゆとりおもいやり」です。運転だけでなく、日々の生活の中でも余裕がないとイライラして言葉で人を傷つけることがあると思います。しかも、その言葉で死に至ることもあります。お互いに配慮ある日々に本当の循環があります。役割の中に生きていても相手を思いやる心は常に意識したいものですね。愛してるよー。またね~。


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プロフィール
こまつかおる
1980年生まれ。庄内町出身。2007年より、夫婦で個人的に酒田市中山間の集落へ入り農業や里山暮らしの情報収集と情報発信・グリーンツーリズムを始める。3.11以降、パーマカルチャーと出会い自然に配慮した暮らしのワークショップなどを開催している。「農的暮らし研究所」主宰。

[最上篇]くまのひろしにあってきた

ぬまのさん


「すみません、昔からちょっと毛深くて」

そう言って、彼は何度も頭を下げた。190㎝はあろうかという大きな体躯、たくましくしかし柔和な笑顔をたたえた彼の全身は新月のようにただ黒く、佇んでいた。そう、彼は毛深い。熊にしか見えないほどに。
そんな彼が私の住む町・新庄で最近頓に目撃され始め、あるときはガイド、あるときは野菜売りなどさまざまなアルバイトをしているという。
話を聞いてきた。


*     *     *

ぬまのさん2


ぬまのひろし(以下「ぬ」):こんにちは。 

くまのひろし(以下「く」):こんにちは。

ぬ: ようやくこうしてお話しすることができましてとてもうれしいです。お噂はかねてよりうかがっておりました。実は今まで何度もお会いしようと足を運んだのですが、その度にニアミスばかりで(笑)

く: そうでしたかそれは失礼しました。実は僕も何度か、僕がトイレに入るとぬまのさんが出てきたと言われたり、僕が出た部屋にその後ぬまのさんが来たと聞いたり、もしかして避けられてるのかと思うくらいでした(笑)

ぬ: いやあ、ついにお会いできたわけですね。よかった。では早速いろいろうかがわせてください。失礼ですが、熊ではないんですよね? まずは生い立ちや簡単なプロフィールなどお聞かせください。

く: くまのひろしと申します。32歳バイト、妻と子どもが3人おります。小さなときは伸び伸びと野山を駆け巡って育ちました。一昨年までは普通にサラリーマンでしたが事情により退職。子どものためにも収入が必要でいろんな仕事をしているのですが、どういうわけかなかなか職が定まらず苦労しています。何でもやりますのでお仕事募集中です。

ぬ: なるほど。いろいろご苦労なさっているんですね。あ、32ですか?同い年ですね(笑)。懐かしいな、僕も田舎育ちです。小さいころはどんな遊びを?

く: いたって普通ですね。蜂の巣をつついたりドングリを集めて回ったり。実は少し大きくなってからはこう見えて完全にインドア派で(笑)。ゲームばっかりやってた覚えがあります。スーファミ世代なんですが、うちにはなぜかなくて、メガドライブやゲームギアやバーコードバトラーに熱中してました。

ぬ: すごい。見事に全部黒い(笑)。やはりその、人より若干毛深い漆黒の体と関係が?

く: あ、やっぱり毛深いの目立ちますかね、すみません。言われてみれば確かに、黒いもの全般が好きですね。前世で何かあったんでしょうか(笑)

ぬ: 今まで普通にお仕事されていたってことですが、毛、どうしてたんですか?

く: 毎朝剃ってました。毎朝剃ってるのに夕方にはまた生え揃ってしまうほどの剛毛で。いつも怒られてました。

ぬ: 大変でしたね。今ではもう剃らないことにしたんですよね? 毛深いまま生きていこうと思ったきっかけなど、あれば教えてください。

く: お恥ずかしい話、疲れてしまったんですよね。毛を剃る職場では普通にしているだけで毛深い、だらしないと怒られてしまうので、結果1日10回はトイレに行き、剃るような状態になってしまいました。いつの間にか人の目ばかり気になるようになってしまって、どんどんブラックに鬱々としてきてしまったんですね。そんな僕をさすがに見かねたんでしょうね、妻から、もういいよと。人に無理やりあわせて黒く沈んでしまうくらいなら、自分らしく生きていこうよと言ってもらえて。以来毛剃るのやめました。

ぬまのさん3

ぬ: なるほど確かに。それは毛深い人に限ったことではないかもしれませんね。生まれもった性格、発達障害、性的マイノリティ等々、誰もが多かれ少なかれ人と違う部分をもっていて、ともすればそれが生きづらさに直結する。本来目に見えないはずのそんなものが、くまのさんの場合体毛として誰の目にも明らかになってしまっているので、さぞご苦労なさったことでしょう。それでもう毛深さをさらして生きていこうと?

く: そうです。だからもう開き直って毛深さを武器にして生きていくしかないかなって。

ぬ: どうですか? やってみて。

く: それが自分でも驚きなのですが、みなさんなんだかんだ毛深いまま受け入れてくれます。笑ってくれたりイジってくれたりしながら。気にしてたのは自分だけだったんじゃないかと、毛深さも自分の個性として愛せるようになりました。小さいときにアンパンマンとか好きだったんですが、あの中でもカバやウサギが社会の一員として当たり前に生きてますよね。現実世界にも結構そんな寛容さがありました(笑)。ひたすら感謝しかないですね。

ぬ: 人と違うということは本当に怖いですからね。生きづらさの根源というか、ときには死ぬしかないと思ってしまうほどに。それが意外とさらしてみれば普通に受け入れてもらえるという発見。すばらしい。はからずもやさしい社会、多様性に寛容な社会のリトマス紙になっているのかもしれませんね(笑)

ぬまのさん4

く: いえいえそんな(笑)。ただ人よりちょっと毛深いだけです。お恥ずかしい。

ぬ: くまのさんが幸せに暮らせる社会に僕も暮らしたいものです(笑)

く: 幸せすぎてこの前飲み屋のお姉さんに「アンタ、ケモノネ」と言われました(笑)。それでもいいですか?

ぬ: 男はみんな獣さ。なんだか他人の気がしないね。タメ語で気安く呼んでいい?

く: よう! ぬま!

ぬ: よう! くま! それじゃあ一緒に行こうぜ、ともに…

: 未来へ…

ぬまのさん5

「ボランティア」って、なんだ? 多田 曜子 (311ボラMeeting 代表)

多田さん


■思えば…

思えば、東日本大震災がおこる前は、私の人生は「ボランティア」とは縁のないものでした。中学時代は思春期で家族とのいざこざで日々悩んでいたし、高校時代はあまりまわりとあわなくて学校が嫌いでした。外に出たくて、大学は中国、アメリカへと渡りました。大学は日々違う文化の中で楽しいことも多かったけれど、留学中友人を亡くしたり、現地の人と文化の違いで問題がおこったり、大変なことも多々…。そんなときはいろんな人に助けてもらったり、励まされたりと、人生の多くは助けられることの連続でした。

“ボランティア”と文字を目にするとどこか、とても心が清くて、聖人君子のような人がやるものだと思っていたのです。
私が“ボランティア”だなんて、ムリムリ、そんな立派そうなもの、滅相もございません! といった具合です。


■あの日から…ボランティアってなんだ? 

私の答えは「関わりたい」という気持ち
2011年3月11日、自宅にいたときに地震はおこりました。停電した家でラジオを頼りに情報を探していたら、ラジオ放送のアナウンサーが泣き声で「町が…町が…燃えています…数百の遺体が…海岸に上がっています…!」と途切れた声で叫んでいました。「大変なことがおこっている…」。私は怖くて眠れませんでした。
翌日から私はSNSで情報を探しまわりました。山形市内に避難所ができたという情報をもとに避難所へ駆けこんだり、被災地へのバスツアーがあれば飛び乗ったりしました。動き出した理由は、「いてもたってもいられなかった」。ただそれだけでした。
“ボランティア”なんてこれまでしたこともなかった人生でしたが、その後あちこちへ活動を続けてくうちに、自分が“ボランティアさん”と呼ばれていることに気がつきました。
最初は“ボランティア”というととても大層なことに聞こえたけれど、私の中の答えは「関わりたいと思ったから、関わらせてください」という気持ちと行動。それだけのことだったように思います。


■「してもらったこと」は「してあげられる」ようになる

―― “助け舟” は世の中をめぐる
ボランティアをしていて出会った人に「どうしてボランティアを始めたんですか?」とよく訊いていました。往々にして返ってくる言葉は、「私も大変なとき、助けてもらってきたから」という返事。経済的貧困や精神病、いじめ、大切な人を失う孤独。聞けばいろんな苦労を重ねてきた人が多くいました。自分が乗り越えてきたからこそ、「苦難のたちあいかた」や「乗り越えかた」、「してもらってうれしいこと」の方法がわかるし、大変なときに「言ってほしくない言葉」「してほしくない行動」も想像がつきやすいのかもしれません。
苦労の体験は人によって千差万別。みんな違う体験それぞれの人生でしているけれど、個々のその体験たちは、他者の状況を想像する糸口となります。

とても基本的なことだけれど、人は、自分が「してもらってうれしかったこと、助けられたこと」を、誰かに「してあげられるようになる」のです。

つらいとき、苦しいとき、一人ではどうにもならないとき。誰かに助けてもらうことには、“自分が情けない”と感じる人もいるかもしれません。というか…私がそうでした。

でも、「してもらったこと」は「してあげられる」ようになる。そうならば、誰かが出した“助け舟”をあなたが「ありがとう」と受け取るとき、受け取った“助け船”を、あなたはまた違う誰かへわたすことができるようになる。“助け舟”はそうして世の中を巡っていくのです。

多田さん2


■向き合っていく人は強い

震災や原発事故をきっかけに、多くの人に出会い、それぞれの震災以降の体験を聞いてきました。
震災にあった人には、その多くに失ったものがあります。住み慣れた土地、買ったばかりの家、使い慣れた日用品、古くからのつきあい、家族、友人、仲間…。

しかしそれでも、置かれた状況に向き合い、その中で自分にとって一番大事なものを見つけた人はたちあがっていきます。困難に向きあっていく人、自分に必要なものを見つけた人は、本当に強い。方向は変わっても、よりよい人生を自らつくり出していきます。
震災から5年目、今でもまだまだ見えない被災地や原発事故の状況ですが、それでも、答えのないこの問題に向きあう人から学ぶことは本当に多いのです。

山形県はほとんど被害もなかった土地ですが、同じ東北人として、この時代をすごしたものとして、これからも多くの人に向きあい続けてもらえたらと願っています。

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プロフィール 多田曜子(ただようこ)
中国・アメリカへ留学後、会社員、アパレル販売員を経て、2011年の東日本大震災をきっかけに避難所・被災地ボランティア活動を始める。2011年8月から「復興ボランティア支援センターやまがた」に勤務。「311ボラMeeting」代表。

「たがやす人」たち集まれ! ――「天童アートロードプロジェクト」の活動より―― イシザワエリ

イシザワさん

こんにちは。いつも「アートワークショップの現場から」で原稿を書かせてもらっています、イシザワと申します。今回は、個人の活動から少し離れて、自分が参加している「天童アートロードプロジェクト」のご紹介をしたいと思います。

天童アートロードプロジェクト」(以下、「アートロード」と略記)では、立場や世代をこえたさまざまな人たちが出会える場をつくること、アートの視点を通して地域の魅力を再発見すること、アートを身近なものに感じてもらうこと、などを目的に活動しています。


■活動の経緯

そもそものはじまりは、東北芸術工科大学の学生有志の活動「みつけたむぎの」です。

「みつけたむぎの」は、天童市田麦野地区を拠点に、アートやデザインの活動を通して、地域の方たちと交流することを目的に、展覧会やキャンドルナイトなどのイベントを行っています。これまで、地域の方が学生の作品を見て「田麦野にこんな風景があったのか」と地域の風景に改めて目を向けてくださったり、逆に学生は地域の方たちから、お漬物のつけかたや畑仕事など自然と共に生きるための知恵や考え方を教えてもらったり、ということがありました。2007年からスタートしたこの活動は、学生と地域の方とが出会い、関わりあうなかで人と人とのゆるやかな関係性を育んできました。

このような活動を天童市内で行うことができないか、また、天童駅から田麦野地域まで、さまざまな拠点をアートの作品でつなぐことができないか、という二つの構想から「アートロード」は誕生しました。
「アートロード」が生まれたことで、田麦野で活動した卒業生はともに活動したメンバーや地域の方とつながることができます。美術や創造的な活動に関心のある人たちが、語りあえる場があること、そして発表の機会をもてることは、個人で制作し、発表することが多い美大の卒業生たちにとって、ありがたいことです。


■メンバーについて

当初のメンバーは、田麦野で活動していた卒業生が中心だったのですが、天童市美術館での展覧会を開催するなかで、地域で魅力的な生きかたをしている人たちに出あうことができました。例えば、三つの商店を経営されている70代のある方は、地元の変わりゆく風景を子どもたちに伝えたいと考え100点の風景画を描かれていたり、とあるお寺の坊(ぼう)守(もり)(お寺の住職の奥様)さんは、お寺に人が集う機会をつくろうと絵本の読み聞かせや、仏具を磨きながら地域の人たちがお話できる「おみがきの会」を開催したり、さまざまな活動をされています。みなさんに共通しているのは、日々の暮らしの中で、自分の好きなことやできることを大切にして、常に何かを模索し続けていること。私たちは、こうして出会った人たちのことを「たがやす人」とよんでいます。「アートロード」では、「たがやす人」たちと語りあうところからスタートします。活動の原動力は何なのか? 仕事や子育てをしながら、自分の好きなことを続けるにはどうしたらいいのか? 「たがやす人」が語るひとつひとつのコトバから、自分の好きなことを続けること、他者や周囲の環境と関わり続けるようとすることの大変さと大切さを知ることができます。

 こうした活動を支えてくださるのは、天童市美術館の存在です。開催場所の提供や活動に対しての助言など、一歩引いた視点をもちつつ、常によりそってくださる「オトナ」の存在をとても心強く感じています。

イシザワさん2



■主な活動について

「アートロード」では、主に三つの活動を行っています。

①「天童meets しゃべっぺナウ」
メンバーの活動や考えかたを語りあう場として「しゃべっぺナウ」を開催しています。美術館の一室をお借りして、ゲストである地域の方に来ていただき、ふだん行っている活動についてお話していただきます。ゲストや参加者の方が自分の経験や感じたことを語るさいの言葉にははっとさせられることが多々あります。地域の活動のこと、そして「アートロード」のことについて語る時間を経てから、ともに展覧会をつくりあげていきます。

②地域の新しい風景をさがしだすアートワークショップ「ちょっとちがういつもを歩こう」
アートの視点を通してふだん見慣れた風景をちがった視点からとらえてみようと、ものづくりワークショップを行っています。昨年2014年度に行った活動では、地域の歴史家の方に高擶地域の歴史を伺ってその場所にすんでいそうな空想の生きものを粘土でつくったり、天童市山口地区で地域の風景をスケッチしたり、地域の方とともにワークショップを開催しました。アートに親しみのない方にも気軽に参加してもらいたいと考えています。

③「たがやす人」による1年に1度の展覧会
一年間の活動の集大成として、天童市美術館で展覧会を開催します。絵画作品や、ワークショップで制作した作品、「たがやす人」たちが日々の生活で感じたドキドキやワクワクから生まれたモノや活動、さまざまな「作品」が展示されます。2014年度の展覧会場内ではこどもたちが気軽に参加できる「ものづくり」の活動も開催していて、美術館内に子どもたちの声が響き、会場内が常に変化し、ひとつのお祭りのようになっていました。来場者の方に「たがやす人」の十人十色の生きかたをみていただきたい、年齢や立場をこえてさまざまな人が出会える場にしたい、そんな想いで展覧会を企画しました。

このように「アートロード」は、2012年から活動を行ってきました。地域で生きるひとりひとりの生きかたを大切にしながら、人と人をゆるやかにつないでいけるような団体になれるように、毎年工夫していきたいと思います。


■最後に告知★

今年度も天童市美術館で展覧会を開催します。期間は2015年11月15日(日)~29日(日)です。地域で活動する「たがやす人」に会いに来てください。

3.11のことは、 やっぱり話したくありません 花屋伸悟

編集長の滝口さんから「3.11について思うことを書いてほしい」とお願いされ、いざ書いてみたら3,000字オーバーという原稿に。これを規定の文量に収めてみたら、何とも窮屈な文章に。原稿〆切の2日前に「こりゃ無理だ」と思いました。

実は、3.11の震災からの2年間、私は復興支援を主とした事業に就いていました。その後、今の職場に移ってきてからも、副業として更に1年間、これまた復興支援の事業に関わることに。そして昨年度の初め、代表からの「○○〇の事業、続けるor続けない」との質問に「NO」と答えたことで、ようやく自分の手から離れたのでした。

この間、色んなことがありました。時には人として、そして男として、どうしても許せないこともありました。今でも、思い出す度に怒りが込み上げてくることはしばしば。

 でも、その一方でブレない何かが見えたこともありました。例えば、

〇災害復旧・復興の結論は、NPO・ボランティアが示すものではなく、その土地にその後も住み続ける住民が自ら選択するものであること。そのため、外部のNPOや災害ボランティアには、時として立ち去る勇気が求められる。

〇災害時のニーズというのは、平時の社会的な課題が災害によって顕在化されたもの。だから、被災地・被災者というフィルターを外してみると、それら課題の本質は、平時の市民活動の中にも多々含まれている。ただし、原発事故に限っては例外(見えないゴジラ相手に一般市民が何とかできる訳ないのです)。

 また、これまで自分が疑問に感じてきたことに、何らかの着地点を見つけることも出来ました。例えば、

〇災害時のNPO・ボランティア活動は社会的な関心が異常に高いところから始まるのに対して、平時のNPO・市民活動というのは、基本的に地味なところから始めるもの。だからこの両者は、同じ様に見えてだいぶ違う。

〇NPO・ボランティアの領域にいる多くの人が、復旧過程のあるべき姿として、ボランティア元年と言われた「阪神・淡路大震災」のそれをイメージしていることへの疑問。これについては、自分たちの住む町を部外者から守るために、雲仙普賢岳の火砕流に巻き込まれて犠牲となった消防団員や、大島・三原山の噴火の時に全島避難をし、その後に生活再建を果たした住民たちの姿に、私の答えは潜んでいました。

 と、ここまで書いてきましたが、3.11の一連の動きを離れてからというもの、私は3.11について自ら話すことを控えています。というより、話したくないのです。

「いなくなったヤツは、敢えて黙ってなきゃならんこともある」

もう何年も前に、私は高校時代の担任からそう諭されたことがありました。私が3.11について話したくない理由とは、きっと、そういうことなのだろうと思います。

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■プロフィール
花屋伸悟 (はなやしんご)
1984年、山形市生まれ。東北公益文科大学卒業後、フリーで多様な業界を経験。また、地元の気のあう仲間同士でグループをつくり、さまざまなアクティビティをしている。NPO・市民活動には3.11を機に深く関わるようになり、現在の本職はNPO中間支援。山形市在住。

平成27年度「山形学」講座 時をつむぐ若者たち~ともに創る山形の未来~

地域学の試み、「山形学」。今年度は、地域の担い手である「若者」をキーワードに、山形の過去・現在の活動を通して、地域や山形の未来を考えていく講座「時をつむぐ若者たち ~ともに創る山形の未来~」(以下「講座:山形学」と略記)が開催されました。そこに、『まどあかり』編集部を代表して筆者(大原)が参加してきました。講座は全6回。会場は基本的に遊学館(山形市緑町)ですが、ときおり現地学習もあり、講座内容は実に多彩です。今回はその中で、第1回から第4回までの講座の内容をまとめました。

*     *     *

第1回目の「講座:山形学」は7月11日(土)に行われました。この回は現地学習ということで「つどう・学ぶ若者」をテーマに、小国町にある学校「基督教独立学園」を見学したり、南陽市のご当地ヒーロー「南陽宣隊アルカディオン」を企画・運営する若者グループ「HOPE」のお話を伺ったりしました。

講座の前半に訪れた「基督教独立学園」は、人里離れた山の中で聖書や自然を通し、さまざまなことを学んでいる全寮制キリスト教系の私立高校です。ここでは主に、在籍中の生徒さんによるプレゼンを通し、学校の概要について説明いただきました。こちらの学校ではもちろん通常の教科も勉強しますが、それ以外に炊事や園芸、牛・にわとりの世話といった生活に関わる作業も授業の中にとりいれているといいます。教科書の内容を理解するだけではなく、日々の暮らしで得られる体験のひとつひとつを学びとして捉えている点が特に興味深く感じられました。

そして講座の後半では、南陽市の沖郷公民館に移動し、そこで「HOPE」代表の加藤健吾さんによる講話や、「南陽宣隊アルカディオン」のショーを鑑賞しました。筆者が特に驚いたのは、アルカディオンは衣装をはじめショーにかかる費用を市に頼らず、すべて加藤さんたちご自身でまかなっているという点です。当然、自分たちでお金を集めることは容易なことではありません。しかし加藤さんは、ここまで活動を続けられたのは、純粋に楽しかったからだといいます。ここで市からお金をもらってしまうと、彼らにコントロールされる可能性が生じてくる。活動が制約されてしまっては素直に楽しめない。だから、たとえ苦労しようと、そこからわきあがる楽しい気持ちを失わないために、これから先も自分たち自身の力で活動していくのだそうです。行政に頼らずしてここまで活動を継続してきた「HOPE」は、市民活動のロールモデルとして学ぶべき点が沢山あるなと思いました。

7月18日(土)に遊学館で行われた第2回目の講座では、児童文学者の鈴木実さんと「ぷらっとほーむ」共同代表の滝口克典さんを講師とし、「よむ・かく若者」をテーマに講座が行われました。鈴木さんからは生活綴方時代の若者たちのお話、そして滝口さんからは「ぷらっとほーむ」での若者たちの活動を紹介していただきました。

生活綴方とは、簡単に言ってしまうと「生活をテーマにした作文」のことをさします。鈴木さんのお話によると、これは1910年代に確立されたもので、子ども・若者たちに自身の生活やそのなかで見聞した事柄、感じたことなどを文字に書きおこさせることで、自ら学び考える力を養っていってもらおうという教育実践です。戦時体制の強化により生活綴方は一度衰退しますが、戦後になって、アメリカから導入された新教育は日本にそぐわないとの批判から、生活綴方運動を母体にした生活記録運動が、若者たちの間でもりあがりを見せるようになったそうです。

 「ぷらっとほーむ」は、若者を中心とした利用者どうしが本音で語りあえる居場所です。ある事柄について、自分はどう思っているのか、どう感じているのか、フリースペースでの気軽な雑談や学びの場でのディスカッションを通し、利用者たちが自分の考えを明確化したり立ち位置を獲得したりしていく姿は、生活綴方とも通ずる部分があるのではないかと思いました。

第3回目となる「講座:山形学」は「農のしくみを創る若者」をテーマに、遊学館にて8月2日(土)に開催されました。「JA山形おきたま飯豊地区青年部」の田中俊昭さん、「アグリーウォーカーズ」の粟田幸秀さん、「農的暮らし研究所」の小松薫さんと、農業にたずさわる若者3名を講師に招き、若い世代ならではの視点から紡ぎ出される新たな農のありかたやしくみについて、お話を伺いました。

筆者はそのなかでも、小松さんによるパーマカルチャーのお話に興味をひかれました。パーマカルチャーとは、石油に依存しない農を中心とした循環型の暮らしのことをさす言葉。3.11をきっかけにエネルギー問題などに着目するようになった小松さんは、半世紀前のそういった農的暮らしぶりを現代の生活様式にとりいれようと、パーマカルチャーの活動に取り組んでいます。小松さんはその試行錯誤のなかで生まれた、地産地消の野菜を使った郷土料理教室「一汁一菜の会」や、ミニソーラーを自作して自然エネルギーについて学ぶ「ほどほど電力ソーラーワークショップ」などの取り組みを丁寧に紹介してくださいました。

「継承する若者」と題した第4回目の講座は遊学館にて8月22日(土)に行われました。今回おこしくださった講師は「鮭川歌舞伎保存会」座員の西野哲史さん、新庄亀綾織技術継承者の阿部友香さん、「青苧復活夢見隊」メンバーの高橋里奈さん、西野神楽・宮曽根神楽篠笛奏者の井戸川美奈子さんの4名。

伝統文化を継承する上での問題点に少子・高齢化があげられます。子ども・若者の数が減ってきている最中で、どのように伝統文化の担い手を見出してゆくか。例えば西野さんの場合、鮭川歌舞伎を始めたきっかけは、小学生時代に地域の年配者たちから勧誘を受け「鮭川子ども歌舞伎」に出演したことだそうです。西野さんの住んでいる地域では、若い世代と年配者との交流がさかんで、年配者を通し、子ども・若者たちは歌舞伎を非常に身近に感じながら育っていきます。歌舞伎というと、どうしても渋くて硬いイメージがつきまといますが、西野さんは大人が楽しんで歌舞伎を行っている姿を子どもたちに見せることにより、民俗芸能に対し肯定的なイメージを抱いてもらうということが、伝統文化を継承していく上で何より大切なのではないかといいます。また、井戸川さんの場合だと、西野神楽をPRするため、ゆるキャラが製作されたという事例を挙げ、伝統文化に現代的な感覚をとりいれるなど、時代に即したありかたを求めることも、ひとつの方法なのではないかとおっしゃっていました。
 
*     *     *

ここまで全4回の講座を通し、「若者と大人が世代をこえてつながりあうこと」「楽しみながら活動すること」「過去と現代、既存の文化を解体し再構築すること」などが、山形の未来を考えていく上でのヒントになりそうだと感じました。        

(文責:大原 克彰)
プロフィール

ぷらっとほーむ 「まどあかり」編集部

Author:ぷらっとほーむ 「まどあかり」編集部
山形市にある「NPOぷらっとほーむ」の〈若者の居場所づくり活動支援事業〉のブログです。
山形県内各地で活動している若者団体や個人のインタビュー、イベント情報や参加レポートなどを随時更新していきます。

2016年度の本事業は、〈一般財団法人 人間塾〉の助成を受けて取組んでいるものです。
〈一般財団法人 人間塾〉

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