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城下町やまがた探険隊『新ぶらぽ倶楽部2017』

ぶらぽ1

5月20日(土)に山形市街地を探索するまち歩き「新ぶらぽ俱楽部(クラブ)2017」に参加しました。この企画は、城下町やまがた探検隊が企画し6年目をむかえました。毎回50名~100名ほどが参加しています。2017年度は5回行われる予定になっています。第1回目である今回は「山形城から商人町へ」と題して、JR山形駅西~霞城公園~最上義光記念館~山形聖ペテロ協会~七日町などを巡ってきました。
 幅広い年代の人たちが参加していて、各々が知っている知識をお互いに披露していて、とても賑やかな雰囲気でした。今回のまち歩きで勉強になった事がありました。それは、現在、新庄のことを最上地方と呼んでいますが、最上義光が山形藩を治めていて、その当時山形市周辺を最上地方と呼んでいました。なぜ新庄を最上と呼んだのかというと、最上氏の後に山形藩主になった大名が、地元の人たちがあまりにも最上びいきなので、それに僻んで地名を入れ替えたという説があるそうです。

ぶらぽ2

また、幕末の山形藩主は水野家という家で、天保の改革を行なった水野忠邦の子孫でした。改革が失敗して左遷されるような土地だったのです。江戸時代の初期は最上家が50万石を超えるような領地を持っていたのですが、幕末の水野家は5万石という少ない領地を与えられていたのです。そのため、山形城という広い土地を維持する事が難しくなり、土地を畑にして、なんとか領地経営していたそうです。
また、幕末の世になると、官軍と旧幕府軍にわかれて戦いになりました。東北の諸藩は旧幕府軍についていて、その流れで山形藩も旧幕府軍についていました。しかし、戦いは官軍の勝利となり山形藩の罪を問われたときに家老の水野元宣が責任を取って処刑される事によって山形藩が救われたそうです。この事実を、私は全然知らなかったのですが、説明を聞いて、水野元宣が処刑された当時26歳だったと知り、若いのに藩を守って大変だったのだなと感慨にふけりました。
他にもたくさん面白い話が聴けて、歴史のロマンに触れられるとても有意義な2時間半でした。
(文責:片桐滉斗)
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ぷらっとほーむ 「まどあかり」編集部

Author:ぷらっとほーむ 「まどあかり」編集部
山形市にある「NPOぷらっとほーむ」の〈若者の居場所づくり活動支援事業〉のブログです。
山形県内各地で活動している若者団体や個人のインタビュー、イベント情報や参加レポートなどを随時更新していきます。

2016年度の本事業は、〈一般財団法人 人間塾〉の助成を受けて取組んでいるものです。
〈一般財団法人 人間塾〉

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