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山形国際ドキュメンタリー映画祭のキロク

映画祭1


2017年10月5日〜12日にかけて、今回で15回目の開催となる「山形国際ドキュメンタリー映画祭」が行われました。
映画祭は、アジアで初めて創設されたドキュメンタリー映画祭として世界的に有名ですが、これまで、観客としてしか参加したことがなかったので、今回初めてボランティアとして参加してみた記録を綴ってみたいと思います。



私が担当したのは、大賞の対象になるインターナショナル・コンペティション作品が上映される、メイン会場の中央公民館(az6階)の会場係です。
ここは、学生時代に映画祭の作品を観に来て、途中で眠ってしま った記憶のある会場です。。。
ボランティアを行うにあたっては、事前に行われるボランティアミーティングで担当などが割り振られ、簡単な研修を受けたうえで、映画祭の開催を待ち受けます。
仕事内容としては、上映前は、観客数のカウントや、チケットもぎり、上映中は、市民賞のアンケート用紙などの折込み、カタログや映画祭グッズの物販など多岐にわたります。
映画祭には、世界各地から外国人がたくさん訪れますので、外国語で話しかけられることも多々あり、固まってしまう場面も多々ありました…。
作品によっては、長蛇の列が発生し少々殺気だつ場面もありますが、上映が開始されると、ゆったりとした時間が流れ、他のボランティアメンバーと談笑しながら折込みなどの軽作業を行います。
映画祭に関わる人々は、やはりコアな映画ファンであることが多く、話題は、(今回の映画祭で)何の映画を観たか、これから何の映画を観る予定か、が中心になります。
また、ドキュメンタリー映画への熱気は、白いフリーパスや、青やピンク・緑などのIDパスを首から下げて、目当ての映画の開始時間に間に合うよう急ぎ足で向かう人々がたくさん観測できる、香澄町から旅篭町にかけての地域でも感じられます。



私は、今回はそれほどたくさん観るつもりではなかったのですが、そのような人々に刺激され、結果的には、5本の作品を観ることになりました。
特に印象に残った作品をあげるとすれば、アメリカで公民権運動の時代に黒人差別と闘った、キング牧師などの活動家にスポットをあてた『私はあなたのニグロではない』(監督:ラウル・ペック、優秀賞受賞)があります。
差別の問題を扱ったドキュメンタリー作品と聞くと重苦しいイメージが浮かびますが、この映画はスタイリッシュに編集されており、現在まで根強く残る人種差別と、それに対する気高い闘いの歴史を学ぶことができます。
エンドロールで、現代の黒人運動「Black lives matter」(黒人の命も大切だ)のテーマソング的な存在にもなった“Alright”でも有名な、ヒップホップアーティスト/ケンドリック・ラマーの“The Blacker the berry”が流れたのには痺れました。
フックとしてサンプリングされた「果実が黒いほど果汁は甘い。肌の色が黒いほど美しい」というラインを持つこの曲を選択した監督の意図について考えさせられます。



仕事もあって全日程は参加できなかったのですが、8日間本当にあっという間に過ぎ去りました。
日常に戻ると、「映画祭ロス」な感覚にもなりましたが、過去の映画祭の作品を上映する「金曜上映会」などで空白を埋めつつ、2年後の開催を楽しみに待ちたいと思います。(了)

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アートが開く もうひとつの可能性 山田正一郎(夜間美術大学 主宰)~

夜間美術大学では、昨年(2015年)12月2日に、美術作家・池田剛介の、WEBサイト・マッドシティ(https://madcity.jp/)における連載「アートと地域の共生についてのノート」第1回&第2回をテキストに読書会を行いました。

テキストでは、文芸批評家スーザン・ソンタグの言葉を引用しつつ、社会問題の解決を目指して社会に働きかけを行う「アクティヴィズム」は物事を単純化して捉える傾向があり、それとは逆に、アートは物事の本来の複雑さや多元性をそのまま扱う、という区別がなされています。
近年のリレーショナル・アート(作品の内容よりもその場における人びとの関係性を重視する)などの活動では、人と人の関係の構築や地域活性化などが目的とされているが、そのような場合、アート本来の複雑さを包含したありかたが見失われがちになっているのではないか、ということがテキストでは問題にされています。
種々の社会問題に対していかにアートがその本来の特質を残しつつ関与しうるのか、という観点からこのテキストに関心をもちました。

○アクティヴィズムで単純化がおこるのはなぜか?
・社会運動は人数が多いほど力も大きくなる。人を多く集めるためにいろんな人が一致できるスローガンにする必要がある。
・一方で、最近の社会運動は多様性を包含している。安保法制の成立に反対する国会前の集会では、いろんな立場の人が混在していた。

○アートと善悪
・なんでも捉えようによっては「アート」と言えてしまう。911のテロによる貿易センタービルの崩壊について「美しい」とあえて言った意見を聞いたとき怖いと感じた。
・テロの後、愛国心が強まるなか、全体主義的な雰囲気に抗うために、あえてそういう発言をする人も必要なのかもしれない。

○共生のためのアート
・リレーショナル・アート → さまざまな人びとが排除される可能性。排除されるのはお金がない人。(お金がないため)忙しい人。
・共に生きるための新たな場をつくり出すものが表現ではないか。

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いま一度、上記のテキストについて説明するならば、タイトルからもわかるように、「共生」がテーマになっています。
リレーショナル・アートにおいて、作品が特定の場で人と人の「関係」をつくることを目的にしているのに対し、アクティヴィズムは、人と人の「敵対」――意見のぶつかりあい――のなかからよりよい社会をつくり出していくことを目的としています。
著書はテキストで、その二つの方法とあわせて、それ以外に別の共生のありかたを、アートによって描けないのかを考察しています。
参加者からの発言で、全体主義的な風潮の中であえて人と違う意見を言うことも必要なのかもしれない、という意見を紹介しました。
経済的な格差の拡大により、寛容さの消失、少数者への風当たりの強まり、全体主義についての懸念、が広がるなか、アートの、現実とは別の可能性をフィクショナルに示すことのできる側面はますます重要になりつつあるように思います。
スーザン・ソンタグは『この時代に思う テロへの眼差し』(NTT出版、2002年)のなかで、作家(※広くアーティストと捉えても間違いではないと思う)の使命を「精神的な死の状態」とたたかうことだ、と述べています。
ソンタグは20世紀に繰り返された戦争犯罪・人権侵害を念頭におきつつ、人間は「間違っていると知っていても、間違っていることをやってのける」(p.120)と述べ、「精神的な死の状態」が、そのような人間性を欠いた行いを為してしまう要因であることを示唆しています。
そうした状態に陥らないためには、「共同体の気楽な生活にたてつきながら毎日みずからの魂と、自己と自分の母語との関係を蘇生させる」(p.124)ことが必要で、そのためにはアートはとても優れた媒介ではないかと思います。

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短い文章のなかに自分のなかで未消化の難しい問題をつめこんだため、いろんな矛盾や盲点があると思います。もし可能ならば読んで感じたことなどをお伝えいただければ幸いです。
この『まどあかり』の紙面をお借りして、夜間美大の活動について一年間報告してきました。今後も引き続きアートの視点を通して社会に向きあい、みんなで学んでいきたいと思います。(了)


■プロフィール
山田正一郎(やまだしょういちろう)
東北芸術工科大学日本画専攻修了。 絵画制作の傍ら、アートと
社会の関係を考える「夜間美術大学」を主宰。


[アート篇] アートをめぐる人々の声の記録 山田正一郎(夜間美術大学 主宰)

前号では、「アートへの支援」をテーマにした7月と8月の勉強会の様子を紹介しました。

その後に行った9月29日の勉強会では、『アートプロジェクト:芸術と共創する社会』(水曜社、2014年)の第7章《企業×アートプロジェクト》内の対談「なぜアートプロジェクトの支援なのか」(加藤種男×北村智子、272〜292頁)をテキストに読書会を行いました。
テキストは、企業によるアート支援をメインテーマに、なぜ企業が文化芸術を支援するのか、まちにとってのアートプロジェクトの意義とはなにか、などが議論されています。以下に主なポイントを紹介します。


○工芸

・工芸作家の参加者 → ワークショップをする時のこだわり=絶対に使えるものを作ってもらいたい。日常のなかに持って帰り、身の回りに置いてもらうことで、自分で美しいものを発見できる美意識を持つきっかけにしてほしい。


○アートプロジェクトと地域

・アートプロジェクト → 地域の外から人を呼び込む観光資源としての側面が強い場合も。必ずしも地域の課題を解決するものにはならない。

・一方で、アーティストは地域のなかに入っていくことが上手。まちにとってのよそ者が、地元の人々と共に地域の課題の解決を目指すことは大切。


○アートがもたらすもの

・対談では、市民活動や住民自治の再構築の手段としてアートが捉えられているが、手段としてだけというのはさびしい。
・アートに関わることによって、自分を見つめる力が上がる。

そのような力は市民活動をするうえで必要。市民活動が活発になることで芸術的な活動も展開しやすくなる。


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夜間美大2



10月17日には、「夜間美大@ぷらフェス」が開催されました。

「夜間美大@ぷらフェス」は、「ぷらっとほーむ」主催の文化祭イベント「ぷらフェス」(会場:山形まなび館)のなかの一コマとして行われ、来場者の方とのやりとりの中から山形人にとっての「アート」とは何かを探ることを試みました(@交流ルーム1、下の写真)。
会場ではアンケートを用意し、様々な方からご協力いただきました。今後展示の企画などの参考にしていきたいと思います。
以下でアンケートの回答の一部を紹介します。

○アートにたいしてどんなイメージを持っていますか? もしくは、あなたにとってアートとはなんですか?

・他人に見せようとして作るのもアート。自分だけの満足のために作るのもアート。何がアートかは見た人が決めてくれる。(税理士/60代男性)

・自分の内面の状態を客観的に見られるもの。(療養中/30代女性)

○アートに対して求めるものはなんですか? もしくは、どんな展覧会やアートイベントに参加したいですか?

・絵画や工芸品など、分野を問わない展覧会があると色々な作品が見られて、よりアートを身近に感じられそう。(店員/20代女性)

・ハンドメイドのイベントを見に行くようにしている。


☆また、会場では、「古い着物をバッグにリメイクしている。観たり聴いたりするより自分で作る方が楽しい」という方や、「白鷹町に住んでいるので、近くにある白鷹町あゆーむによく行く。催し物をいつもやっているイメージがある」などのやりとりがありました。

来場者の多くは、それぞれ身近なものとしてアートを楽しんでいる印象を受けました。


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山形新聞(2015/3/25)によれば、2014年の山形県の調査では、文化芸術に対する県民意識が10年前に比べ大きく減退している状況が示されている、とされています。

自治体においては、より積極的な文化政策が今必要とされています。

一方で、近年では参加型のアートイベントが増え、社会のなかで「アート」の位置付けが変化しています。

また、スマートフォンなどの普及により音楽や映像作品などの視聴がより気軽に、断片的になり、若い世代など一部の人びとにとってアートは「鑑賞」するものというより、日常の一部になりつつあるように思います。

そうしたなかで、その人にとって「アート」とは何なのかを捉えようと常に努める必要性を感じます。

夜間美大3


また、交流ルーム9では、夜間美大メンバーの作品展示を行いました(上の写真)。出品者は、大沼洋美(写真)、町田至(彫刻)、山田正一郎(絵画)です。次回はもっと大きな作品も展示できたらいいなと思っています。

じゅくぎ@ヤマガタ のキロク 滝口克典

マスメディアのアジェンダ・セッティング(論点設定)をうのみに支持者を決めたり、候補者のイメージだけで投票先を決めたり、あるいはそもそも棄権したり、といった貧しい選択肢しかもちえていないわたしたちの選挙の現状。これらをなんとかしたいと、わたしたちは、統一地方選を間近に控えた3月、「じゅくぎ@ヤマガタ」という企画を構想し、県内各地の活動する若者たちに以下のように呼びかけました。

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あの震災から早くも丸4年が経ちました。災後の日々が教えてくれたのは、私たちの生きるこの社会が思っていたよりもずっとひどく、ぼろぼろに劣化し、あちこちに綻びが生じているという事実でした。震災のずっと前から生じていたものを、震災は可視化しただけでした。

 そういう惨状に対しては、若い世代――まさにそういう世の中を生きていかねばならない世代――を中心に、自分たちの身近なところからこのどうしようもない世の中をつくりかえていこうと、ミクロな社会づくりの実践があちこちで活発化しています。

しかし、そうした草の根の地道な実践が社会のより大きな文脈につながることはまれで、いまだ地味で目立たない営みにとどまっています。現場での社会づくりの知恵やアイディアを、政治や経済などの大文字の文脈につなぐとりくみが必要です。

おりしも、4月からは統一地方選が始まります(4月12日に県議会議員選挙、26日に市議会議員選挙)。議会の議員をえらぶ選挙は、さまざまな現場でおこっていること、あがっている声を行政府に届け、必要な政策や制度に取り組ませるための、非常に重要な機会です。

そこで私たちは、この機会に、さまざまな現場でどのような問題がおこり、どんな声があがり、どんな取り組みが求められているのかを可視化し、行政府に届けるきっかけをつくるために、同時多発的かたりばネットワーク「じゅくぎ@ヤマガタ」というイベントを企画しました。 

県議会議員選挙のちょうど1週間前の4月5日(日)13:00より、山形県内のあちこちで、同時多発的に「熟議空間」――多様な人びとが集ってテーブルを囲み、同じテーマをめぐってさまざまな角度からじっくり議論を重ねていく場――を開きます。あれこれをゆっくりじっくり考えるという過程を経たうえで、1週間後の投票を迎えようというわけです。

ということで、あちこちで「熟議空間」を開いてくださる活動者/団体の方がたを募集します。開催にあたって必要なのは次の三つです。第一に、みんなで語り合ってみたいテーマをひとつ決めること。第二に、いろんな立場の多様な人びとがフラットに話せるよう、当日は参加型の場づくりを行うこと。第三に、当日どんな声があがり、どんな問題が議論されたかを記録し公開すること。

もちろん、不安なこと、わからないことは、事務局がサポートします。というか、そもそもこういう取り組み自体ヤマガタでははじめての試みですので、たぶんいろいろ失敗やらミスやらは生じるでしょう。でも、それらをもちより検証していくことで、長期的に企画の水準を高めていきたいと考えております。

ということで、まずはいっしょにやってみませんか? ぜひやってみたいという方は、①そこで話してみたいテーマ、②開催場所、をお知らせください。いただいた情報を随時集約し、ウェブサイト「じゅくぎ@ヤマガタ」に掲載いたします。応募いただいた方(団体名:●●●●)の「熟議空間」はそれぞれ「じゅくぎ@●●●●」と表記します。

ウェブサイトは開催当日まで随時更新し続け、興味をもった人がその「熟議空間」マップをみて、「あ、うちの地域であの団体がやってる。行ってみようかな」みたいになることを目的に設置します。企画終了後は、そこであがった声やかわされた議論を掲載し、広く公開するための媒体として活用します。

いかがでしょうか。ひとまずこんな枠組みで動き出してしまおうと思っています。興味をもっていただいたみなさん、ぜひいっしょにやりませんか? どうぞお気軽にお声がけください。

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こうした呼びかけに、山形市内で活動する若者グループや個人の方がたが呼応してくださり、下記の八つの「熟議空間」が開設されることになりました。

(*残念ながら、山形市以外の方がたからは軒並み「あと1カ月しかないのでスケジュール的に困難」「仲間を説得できない」「選挙とかいうと色がつきそうで難しい」などの理由によるお断りの返事をいただきました。同じ条件は山形市内で活動する方がたもあてはまるわけで、ではなぜ山形市の活動者たちだけがそのハードルをこえることができたのか。今後の思考課題になりそうです。)

①教育ってなんだろう?…………樋口愛子さん(クローバーの会@やまがた)
②障害者及び要介助高齢者の社会活動(要予約)……齋藤直希さん(障がい者)
③ヤマガタのNPO(NPO支援)ってどーよ?…………………………………
…………………………………滝口克典(ぷらっとほーむ・学びの場づくり)
④政治ってなんだろう? ……松井愛さん(ぷらっとほーむ・居場所づくり)
⑤公共サービスと公契約条例……佐藤完治さん(山形公務公共一般労働組合)
⑥「まち」とアート……………………………山田正一郎さん(夜間美術大学)
⑦「働く」って何なの?(学生限定)…………………工藤吉貴さん(大学生)
⑧自己実現とはなにか?………奥山心一朗さん(てつがくカフェ@やまがた)

かくして5日(日)当日、山形市内の各所で同時多発的に上記の「熟議空間」が開かれ、そこに人びとが集うことで、それぞれのテーマについて市民がフラットに語ったり考えたりできる熟議コミュニティがうまれました。
では、それぞれの熟議コミュニティにはどのような人びとが集い、彼(女)らによってどのような議論が行われたのか。以下では、その雰囲気や概要を六つの「熟議空間」それぞれの主宰者のみなさんに記述していただきました。


●じゅくぎ@工藤吉貴

*テーマの背景*
大学生の誰もがぶつかる「働く」というテーマ。近ごろの政治においては、働くという営みは実に暗く窮屈な営みとしてとりあげられているように感じられます。それでは、実際のところ、学生は働くことについてどのように感じ、考えているのか。この機会に話しあってみることにしました。

*参加者*
3名(山形大学・経済学専攻4年Mさん、山形大学・心理学専攻3年Tさん、
東北芸術工科大学・コミュニティデザイン専攻2年Oさん)

*当日の流れ*
「じゅくぎ@工藤吉貴」の開催趣旨説明 → 自己紹介(名前、所属、参加動機) → 参加者の話題提起からフリートーク

*トークトピック*
●現時点で考えている卒業後の進路について:
話しあいのなかで「働く」という営みを考えるうえでの三つの視点が浮き彫りになりました。

①専門性――「自分が大学で学んだ心理学を活かして社会に関わっていきたい」「実家が農家なので、農業にコミュニティデザインを活かせないか」などと大学で学んでいる専門性と仕事をどうかけあわせるのかという視点。

②自己の性質――「提供する価値を最大化できる仕事を探している」「何かを構想するのが好き」などと仕事を好き嫌いや得意不得意といった自身の性質と照らしあわせるという視点。

③社会的な課題――「何かの仕事に就きたいというより、“東日本大震災”とか自分の関心のあるテーマと向きあっていきたい」などと社会的な課題を仕事に落としこんでいくという視点。

●お金の使い道について:
現代では、労働の対価としての「金」は、「働く」という営みと切り離せない存在です。その金の使い道をどのように考えているのかという話題が提起されました。参加者からは「考えたことなかった」という声から「お金は体験にだけ使うようにしている」というこだわりの声まで聞かれました。「食べものは買うもの」「結婚をしなければならない」「子どもは産まなきゃいけない」――そういった一定の常識を見直すことで「金」観が変わり、結果的に「働く」観が変わることにつながるのではないかと感じさせられました。

●政治と働くについて:
ギャップ・イヤーのような「高校・大学卒業から就職のプロセスの間に“お試し期間”を制度化したらどうか」という提案がなされました。どのような制度かといえば、「ある一定の期間を定め、その期間内は国から“健康で文化的な最低限度の生活”が可能な生活費を返済不要の形で援助され、また、その期間は公営住宅への入居が認められる。そして、この期間内で、企業へインターンシップや職業体験を行い、興味のある仕事の実態を知り、自分への適性を考えるきっかけにする」というものです。

*まとめ*
やはり、日ごろ考える機会の乏しい「政治」と結びつけてテーマについて話しあうことは難しかったです。しかし、参加者の語りからイメージされる「働く」という営みは、政治における扱われかたよりもはるかに豊かでワクワクを感じさせてくれるものであり、今後の「働く」観を考えなおすたいへんよい機会となりました。     (文責:工藤吉貴)

●じゅくぎ@クローバーの会@やまがた

テーマ:教育ってなんだろう?
「クローバーの会@やまがた」は、不登校・ひきこもりの子どもをもつ親の会です。その視点から、あるいは過去に不登校を経験したという参加者の視点からさまざまな考えが出されました。
はじめに、現在の学校教育について話しました。

○個性が大切にされず、規定にあわせた子どもに育てようとしている。
○雪合戦すら禁止されている学校がある。ルールだからといって理由をきちんと説明せず、なんでもかんでも禁止してしまっているように感じる。
○不登校になると「発達障害ではないか?」とすぐに受診をすすめられる。そのことに違和感がある。
○大人の社会と同じように学校も競争社会になっている。     など

 次に、なぜ子どもたちは息苦しさを感じるのかについて話しました。

○周りが子どもの気持ちに 寄り添っていないから。
○もともと集団が苦手な子どもがいるのに、その場に適応することを強制させるから。
○先生がたや親は自分たちの立場を守ることを優先している傾向があるから。
○生徒、先生、親 それぞれの時間に余裕がないから。       など

 そして、どのように変わっていけば、子どもたちが笑顔で幸せを感じなからすごせるのかを熟議しました。

○一人で生きていける力、社会で生きていく力は「学力」ではないはず。死ぬまでに何をしたいかを、子どものころから考える時間があるといいのではないか。
○「発達障害」とカテゴリ分けすることよりも、生きている楽しさを知ることのできる教育が大切だと思う。もしカテゴリ分けをするとしても、それは自分の特性を知ることにより、社会での生きていく力につなげるべきである。
○自分の頭で考え、自分の言葉で表現できるような教育になってほしい。
○学びの場に多様性があって、子どもたちが選択できるような教育の形があればいい。                         など

参加者の話から、現在の公的な教育をつらく感じている子どもたちが多くいることがわかりました。そして学校しかないという考えかたで、親も子もますます苦しんでいるという現状を改めて認識しました。教育の目的が、人間としての成長を促し社会で生きていく力をのばすことだとするなら、学びの場は学校だけとは限らないはずです。フリースクール、ホームスクーリングなど子どもたち自らが選び、歩んでいけるような教育になるように、「クローバーの会@やまがた」でも今後アクションをおこしていきたいという話になりました。

 最後に、なぜこのような教育になったのか、についてみんなで考えてみました。教育はその時代の国の方針で変わる。ということは、私たちがどういう政治家を選ぶかで教育の形も違ってくるのではないかという考えに、みんな納得しました。わたしたちが思考停止でいれば、権力者が扱いやすいような国民にコントロールされてしまう、それはおそろしいことだ、という気づきもありました。だからこそ、選挙のときは候補者の語りにしっかりと耳を傾け、よく考えて大切な一票を投じなければならない、と参加者みんなが感じたところで熟議は終了しました。
参加者は3名と少人数でしたが、そのぶん深く掘りさげて語れたように思います。 (文責:樋口愛子)

●じゅくぎ@齋藤直希

①自己紹介、資料等配布、「じゅくぎ@齋藤直希」の企画・参加理由。(以下、抄録)

●主催者=司会者:齋藤直希。先天性重度障害者。制定・改正続く公的介護制度と運用、「山形の福祉の現状」、障害者や要介助高齢者の諸制度等、諸疑問を認識。「じゅくぎ@齋藤直希」企画。

●参加者各位:某公的事務員 S君(中度障害者40代)、某介護事務員 松田君(中度障害者40代)、高校教諭 井上先生(60代前半)、介護福祉士・管理者クラスY さん(業歴10年・若手女性、途中参加)。各自目的意識のもと、参加。
※以下、項目表題で参加者各位に討論いただきました(司会者)。

②憲法を頂点とする制度上の介護制度=障害者総合支援法や介護保険方等の資料にもとづく説明・問題点=『通院等介助』や『移動支援のあり方』等の「自立支援」との観点からの問題提起。

●参加者側:(割愛)

③買い物代行と嗜好品。買い物代行は『嗜好品』につき通達等で明確な規定もなく、「本人のための『日常品等の買い物』」という規定のみ。『日常品』の解釈困難。酒類の買い物代行につき事業所の対応異なる。「毎日晩酌なら酒は『日常品』か。逆に必ず「毎日キャベツやチョコを食す」場合でないとき、『嗜好品』の範疇か。

●参加者側:3.11支援物資中「煙草」があり、その問題と似ているのでは。道徳や倫理感で「公金で酒を買うのは?」との社会的思考残存。「誕生日に誕生日ケーキを買ってきてください」ということも解釈で駄目か。逆に「毎日ケーキを食べる利用者の場合セーフ」となるか。解釈で矛盾が生じやすい。

④身体介護のグレーゾーン問題(医行為とのせめぎあい、含)。

●参加者側:(割愛)

⑤(資料やテーマその他の自由討論開始)障害者の就労や給与などの問題。

●参加者側:(割愛)

⑥障害者の就職活動等の努力活動について。障害者の社会活動上、「差別されたくない。障害者の事情も理解して」との障害者側の主張と、「障害者側は、『健常者側から差別されぬよう、あるいは障害者の事情を理解してもらえる』ように積極的努力をしているか」という違和感問題。

●参加者側:(割愛)

⑦障害者と公共施設。

●参加者側:(割愛)

⑧「弱者」に対する社会の状況および障害者や要介助高齢者等に対する社会的理解の推進や現存する諸問題の解決方法論。

●参加者側:(割愛)

⑨障害者等に対する社会的理解を推進する具体的方法論(「個々人で理解を得る努力をすべき」か、今回のような「さまざまな事柄を話しあう場」を通じ「『さまざまな立場の方がたが参加し社会に対し理解を得る努力をする』場」が存在した方がよいか)。および今回の感想と「まとめ」。

●参加者側:(一部割愛)実際に障害者の方から直接話を聞き納得できた部分も多かった。だがこういう場をつくった後「どう動くとよいか」ということが最重要かと感じる。このような「話しあいの場」があることはよい。他方、「興味のない方にいかようにアプローチし伝えればよいか」との課題も残る。さらに個人で考えるには限界があり「話しあう場」での話により考えかたの視野が広がる。そういう視点で「語りあいの場」は必要。とともに「障害者だけで行う」ならば「やる意味」「場」の必要性は減る。健常者の方も交えキチンと司会進行を行い「このような場合はあなたはどうですか」と感想等を述べたりできるかたちも必要。そのうえで「場」の話しあいの結果を外世界に発信できればよい。文脈上「障害者も健常者のことを理解する必要がある」すなわち「相互理解」が必須と考える。   (文責:齋藤直希)

●じゅくぎ@ぷらっとほーむ(居場所づくり)

〈テーマ〉政治ってなんだろう?

〈会 場〉フリースペース ぷらっとほーむ
「じゅくぎ@ぷらほ・居場所づくり」では、20代から30代を中心とした合計8名の参加のもと熟議が行われました。
政治に対して無関心な若者が多いといわれていますが、この場では、日曜日の昼間にも関わらず積極的に話しあいが行なわれました。

はじめに、政治に対してのイメージや素朴な疑問をカードに書いて出しあいました。そして、それらのカードを並べかえ、「有権者」「選挙」「政治家」「市政、県政、国政」の四つにテーマわけし、それぞれの論点で話しあいを行いました。
以下、それぞれのテーマで出た意見をご紹介します。

●有権者について……難しそう?/自分一人が選挙に行っても何も変わらない?/特別な人が関わるの?/投票したい人がいないなら自分が立候補?
●選挙について……マニフェストをチェックしている?/選挙カーに対しての決まりごとは?/立候補するには?/政党とは?
●政治家について……政党の違いとは?/世襲政治?/汚職?/誰がやってもさほど変わらない?/仕事内容は?/議員の給料は?/クリーンな政治は可能?/政治家の都合がよいように法律をつくっている?/政治家のレベルは有権者のレベル?
●市議、県議、市政、県政について……どんなビジョンをもっている?/市民の声は届いている?/市民の状況をどこまで把握しているの?/決定されている懸案が見えない?/参議院とは?/衆議院とは?

以上のような各テーマで議論を重ねました。そのなかで、「自分が政治家になったら有権者に求めること」について以下のような意見が出ました。

●「見えない! 聞こえない!」ではなく、「見よう! 聞こう!」。
●よいところはよいといってほしい。
●反響、ツッコミがほしい。
●関わりかた、手のさしのべかたを知りたい。
●講演会にきてほしい。
●当事者性をもつことが大切。政治家を叩くだけの消費者的有権者ではいけない。

そして最後に感想をいただきました。

●議会傍聴など自分からアクセスして調べる。声を上げるとかしていかなければならない。
●政治に対しては遠いものというイメージだったが基本的な知識を知ることにより身近にあるものというイメージに変わった。
●情報を取りに行く重要性を再確認した。政治家に文句を言う前に有権者としてどう行動するかが重要かを振り返ることができた。
●政治に参加して得られる小さな変化が大事なんだと思った。
●自分1人が投票に行っても変わらないという意識の集合体が現状のような事態(投票率の低さ、若者の政治離れ)を招いている。
●自分の一票のがどう社会を動かすか、その手応えを実感できる機会や、この一票重みを知る機会作りなど、いち有権者として、やらなければならない。
課題はたくさんある。
●政治に関わらない=損。という認識が全体の感想として得られました。
●政治について知る機会の重要性に気付かされるイベントでした。
(文責:岩田享志)


●じゅくぎ@公共一般

「じゅくぎ@公共一般」は、主催者1名に一般参加者3名と少人数かつ1時間半と短時間ながら、公共サービスと公契約条例(公共サービスに共通する問題と山形市議会で公契約条例が成立しなかった背景など)について掘りさげた議論がなされました。
この「じゅくぎ」の趣旨説明と参加者自己紹介のあと、主催者から、公契約条例のそもそも論や山形市の条例案の中身を報告。公契約条例は「賃金の底上げ」と「地域経済の好循環」をめざし、「賃金の下限額を定める」「市はこの下限額を守ると約束する業者にしか仕事を発注しないことにする」というものであること、山形市の条例案では業務委託の「下限額」として宮城県の建築保全業務労務単価という国の指標として、資格技能に応じ最高値2,450円、最低値915円程度の額が参考にされていたことが紹介されました。

質疑のなかでは、しかし当面は概ね現状を追認する程度の額からのスタートとなる見通しだったことも明らかにされました。また他の自治体の例として千葉県野田市では、時給700円台だった清掃員の方が800円台にあがり、お昼のお弁当のグレードをちょっとあげることができたことが紹介され、健康で文化的に生活できる賃金という水準には到達しないので、本来国が公契約法ですべきこと、そうなるようにひとつでも多くの自治体が条例を、という一種の運動であることが指摘されました。
ついで主催者は、山形市条例案が否決された背景について、業界の意向を受けた市議の方がたが賛成に回れなかったからと説明しました。全国的にはむしろ業界側から条例制定を求める声があがり保守系の議員も全会一致で条例が制定されているのに、山形市の経緯は特異だったことも紹介されました。
以上のような質疑を経ておおまかに理解を共有したうえで、参加者からの意見、疑問を受けて、さらに以下のように議論が進行しました。

○他市では「業界団体も公契約条例を求めている」というが、その趣旨を山形市の業界団体にもPRする必要がある。
○そもそも下請のありかた、二次、三次とピンはねされる構造に対策が必要だ。
○ピンはねの構造は実際、業界外からはブラックボックスだ。業界内の労働者がしっかり声をあげて内実を告発できるような労働組合・労働運動の存在が求められる。
○職種に応じた賃金以前に、どんな仕事をしていても最低限生活できる賃金を、本来最低賃金が定めるべきだが、現状ではむしろ低い額に固定させる機能を果たしてしまっている。どんな仕事をしていても最低限生活できる土台の上で、より高い賃金が欲しい人が難しい資格や技能にチャレンジする、それに見あった報酬が払われるという構造が望ましいのかもしれない。
○本当はあたり前のこと、「きちんと賃金を払えて、きちんと仕事してくれる」ところに発注するのは市民の福祉にもつながる。
(文責:佐藤完治)

●じゅくぎ@夜間美術大学

□地域の荒廃など、さまざまな社会問題に対して文化芸術の果たしうる役割を考察した、劇作家・平田オリザ『新しい広場をつくる 市民芸術概論綱要』(以下『新しい広場』)を紹介しつつ、文化政策や地域社会における芸術の役割などについて話し合いました。

◯文化政策

・『新しい広場』では、日本の文化予算(対国家予算)が、他の先進国平均に比べて有意に少ない(1/4程度)と述べられています。

・なぜ日本だけ少ないのか話題になりました。参加者からは、日本では、すでにある文化(文化財の保護)には予算をかけるが、これから新しく生まれる文化を育むためには予算をかけない傾向がある、との意見がありました。

◯コミュニティ維持のための芸術

・『新しい広場』では、人びとを融和させるもの、コミュニティをつなぎうるものとして、文化・芸術があると述べられています。東日本大震災後、地域の伝統文化である獅子振りをいち早く復旧させた女川町竹浦集落は、他の地域よりも早く自律的な復興に取り組めたそうです。

・祭などの伝統文化 → どこも後継者不足。一方、地域のつながりの推移を見守る存在であるマタギは近年、アーティストの参加が増え、見直されている。

◯広場としてのアート

・『新しい広場』では、学校や塾しか居場所がない現代の子どものために、市場経済ともどうにか折りあいがつけられる「新しい広場」が必要であり、そのひとつになることが、劇場や、美術館の役割ではないかと述べられています。

・市場経済と折りあいをつけるのは、小さなまちほど難しい。生活に必要な分野にお金を回すだけで精一杯で、文化には予算をかけられない。文化にどのくらい配分をかけられるべきなのか?
難しい問題ですが、国には最低限のことをきっちりやってもらいたい、という意見にみな同意しました。

□テキスト以外のテーマ

◯美術教育

・いま、学校では美術図工の時間が減らされており、教員は非常勤が増えている。芸術を進路に選ぶうえで、美術図工の授業は影響を与えているのか?

・学校の美術や図工の時間でいろいろな経験ができたことが、アートを進路に選んで以降、入口として役にたった。

・アートは、やるにも理解するにも仲間が大事。アートについて、学校でみんなで語りあう時間があるといい。

◯アーティストが地域で生きていくためのヒント

・山形で芸術・デザインを学んでもその経験を活かして働ける場がない。

・アーティストとして生計をたてたいのか、趣味として続けていきたいのか、のどちらかではなく、新しいありかたを探りたい。

◯文化政策の現状

・最後に、県議会選に出馬した候補者が文化政策についてどう考えているのか知るため、HPを閲覧しました。HPを作っているのは4人。あってもあまり見やすくはない。文化政策を重視していると思われる候補は、1人のみという暗澹たる状況。

・自由に発言する権利はぼーっとしてる間になくなってしまうという危惧を感じる、どうやって守っていくのか考える必要がある、という発言で締めくくられました。

□参加者の感想として、政治的なことを考えるには人数が少ない。いろんな人の意見のなかでこそ考えを深めることができるのではないか、という意見がありました。

政治など重いテーマの勉強会に参加してみようと思ってもらうために、どのような言葉で呼びかければいいのか、芸術などいろいろな視点から日常的に政治について考えることで、そのような言葉をたぐりよせていくしかないと感じました。              (文責:山田正一郎)

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夜間美術大学
山形で芸術に携わる人のための緩い場のようなもの。定期的に、
現代社会で表現活動を行うことの意味や、アートの現代における
役割等について勉強会を行っています。

夜間美術大学の活動まとめ 山田 正一郎

〇昨年、現代社会で表現に携わることの意味や、芸術と社会の関係について考える勉強会として「夜間美術大学」を始めました。 
そもそも芸術は、社会において、多様な価値観や生き方を担保するものなのではないかと考えますが、しかし現代の芸術は、そのような役割を果たせているのか?果たせていないとしたらそれは何故か?といった問題意識から、そのようなことを皆で考える場が必要なのではないかと思いこの活動を始めました。 
また、そのようなことをおぼろげに考えていた頃に、思想家・佐々木中のツイッターでの発言、“藝術は別の世界の感じ方を示すこと、つまり「知覚」を広げるためにある。社会運動も同じ。”という非常に共感のできる言葉に出会ったことも後押しになりました。 
昨年の11月から今年の1月までは、吉澤弥生『芸術は社会を変えるか』(青弓社、2011)をテキストとして月一のペース(毎回5〜6人)で読書会を行いました。 
この本では、全国的に行われるようになった様々なアートプロジェクトを通して地域/教育/医療/福祉の分野へ芸術が浸透、つまり芸術の社会化が起こっている状況が説明されています。 
また、アートプロジェクトとして、コミュニティアート・リレーショナルアートが既存の芸術に代わって台頭していることで、社会における芸術の位置づけが変化してきていることが述べられています。

〇本の概要

・そもそも日本では、近代化以降、政治団体としていくつかの美術団体が存立し、一般の人にとって芸術は「お上から与えられたもの」でしかありませんでした。
戦後、消極的な文化政策のなかで主眼になったのは「ハコ(美術館)の建設」。
美術館という純粋な展示空間の出現により、芸術は難解な「純粋芸術」となって一部の人しか享受できないものになり、以来、芸術は一般市民にとって日常から遠いものになりました。

・そのような状況のなか、90年代以降、欧米の動向に追従する形で、多様なアートプロジェクト(以下、AP)が行われるようになりました。 
そもそもAPとは、複数の人々によって遂行される芸術表現に関する企画で、日常の中のものを用いて作品を制作したり、地域の住民が参加するワークショップが行われたりするもの。日本におけるAPは、日常生活や社会の中に「芸術」を見出そうとする特徴がある。

・一方で問題点として、「アートが地域活性の手段として悪用」されたり、「地域問題の解決を丸投げされ」たりしてしまうことなどが挙げられます。

・また、地域アートに関して、美術批評家の語る言葉の貧困が問題視されています。そのようななか、これまで美術批評が排除してきた素人=市民がこれからの批評の主体になることで、美術制度全体の転回をもたらす可能性があるとこの本では述べられています。 
そもそも現代は情報社会や大衆社会の進展によって「芸術/非芸術」、「専門家/非専門家」の境界が溶解している状況です。 
そして、APにおけるアーティストの役割もコーディネーターやファシリテーターに変わり、その現場では、日常の中に創造的な営みを発見し、そこに潜在する力を共有していこうとする実践が行われています。

・思想家・鶴見俊輔は、純粋芸術(戦後現代美術)を標的とした大衆の叛乱を「限界芸術」という言葉で表現。限界芸術は、人びとの生活のなかにある創造性に光を当て、普通の人びとの手に創造性を取り戻すための実践。APはまさに限界芸術と言える。

・しかし、以上のような文脈を抜きに「誰もがアーティスト」、「何でもありのアート」と言うことはできず、APでは、①芸術を社会化する根本的な目的に立ち返りながら活動を進める必要がある、②アートの境界を問い続けることをやめてしまえば、その表現は異なる価値観と向き合うことなく霧消していく、とテキストでは述べられています。

◯ヨーゼフ・ボイス「誰もがアーティスト」

・また、鶴見は「一人ひとりが生きていることには、それぞれ芸術的側面がある」とも述べていますが、この言葉はドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスの有名な発言「誰もがアーティスト」と響き合っているように感じます。 
読書会でそのようなことを考えるなかで、そのヨーゼフ・ボイスが話題になりました。ボイスはどのような意味を込めて「誰もがアーティスト」と言ったのでしょうか。 
ボイスは様々な社会問題に対し、主体的に社会変革のために行動するすべての人が芸術家であると述べました。 現代は、格差社会の拡大や、人口減少による地域社会の衰退など、ボイスの生きた時代よりも一人ひとりが行動する必要性は高まっているように感じます。 
読書会では、
「近年じわじわといろんな活動が広がってきている。」
「地方が疲弊するなかで内発性から始まる活動が増えてきた。」
「活動をしている人たちの主語がはっきりしてきた。それぞれの足場がしっかりしてきている。」 
という発言からも分かるように、実際に行動を起こす必要を感じて、地域に必要とされる活動を始める人が増えてきている、とひとまず山形に関しては言えそうです。

〇「無理なく画廊を...」

一方で、テキストでは、近年のAPの現場で働く人びとの厳しい雇用の状況が問題にされていますが、地域社会で前例のない新奇な活動をして生計をたてるのはまだまだ難しい時勢であると言えます。 
読書会では、どうやって活動を続けて行くかがしばしば話題になりましたが、そのなかで「無理なく画廊をやれたらいいのに」というなにげないつぶやきがもれました。芸術的なものは、趣味など日常のいろんなところでその側面を見出せるわけですが、テキスト217頁で「芸術が専業の芸術労働者によって専有されている」と考察されているように、一般の人が芸術事業を趣味の延長上で兼業として展開することに萎縮してしまう、この時代の風潮を意識しての発言です。  
そのつぶやきから、「専業化しなくても、兼業としてアートに関わる人がもっといていいのではないか。」、「アート=敷居の高いものという意識を変える必要。学問などどの分野でも言える。」、「"素人=市民をこれからの批評の主体に"とあるように様々な分野で素人が主体的に活動してもいいのではないか。」、などの得難い発言が引き出されました。 
何気ないつぶやきが、連鎖的に重要な言葉が飛び出すきっかけとなる場面を目の当たりにし、一つのことについてみんなで考える勉強会の醍醐味を感じた瞬間でした。 
兼業として主体的な活動が草の根的に広がっていき、結果的に社会が少しづつより良く豊かになっていく状況こそは、ボイスが考えた理想的な社会を実現したものと言えるのかもしれません。

○網目の一つとして 芸術を鑑賞することは一般的には受動的な行為であると認識されています。
しかし一見受動的に思える鑑賞行為ですが、作品を受容することとは自分のなかに作品を取り込むことですので、実は主体的な行為です。
そのような主体性を鑑賞者に促すきっかけをもたらす"もの"や場が「芸術」と言えます(もちろん簡単に実現できることではありませんが)。 
主体的に何か活動を起こすことも、すでに取り組まれている多様な活動を目にしたり参加してみたりすることがきっかけになって連鎖反応的に始められるのだろうと思います。 
夜間美術大学も、そのようなネットワークのなかで、様々な人々の繋がりのなかで続けていくことができたらと思います。
プロフィール

ぷらっとほーむ 「まどあかり」編集部

Author:ぷらっとほーむ 「まどあかり」編集部
山形市にある「NPOぷらっとほーむ」の〈若者の居場所づくり活動支援事業〉のブログです。
山形県内各地で活動している若者団体や個人のインタビュー、イベント情報や参加レポートなどを随時更新していきます。

2016年度の本事業は、〈一般財団法人 人間塾〉の助成を受けて取組んでいるものです。
〈一般財団法人 人間塾〉

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